「初めから異界にいた」

承前*1

池澤夏樹「ぼくのもとに無常の使い」『朝日新聞』2018年2月12日


曰く、


病状を抑えるために服用している薬の副作用で頻繁に幻覚がやってくる。ここ二、三年はそういうお話が多くなった。
去年の十一月に聞いたのは(今から思えば最後になったのだが)、「部屋の隅に街灯のように立つ二人の見知らぬ男」とか、「温泉で衣類を残して消えてしまった入浴客。みなで探すがいない」とか、「(昔の水俣の)とんとん村の海岸にいる。水平線に天草が見える。でも海を隔てる壁がある」というような話。
声が小さくなって口元に耳を寄せるようにして聴き取った。幻覚ではあるが、しかしそのまま石牟礼道子の文学でもある。
そもそもこの人自身が半分まで異界に属していた。それゆえ現世での生きづらさが前半生での文学の軸になった。その先で水俣病の患者たちとの連帯が生まれた。彼らが「近代」によって異域に押し出された者たちだったから。それはことのなりゆきとして理解できる。でも、たぶん石牟礼道子は初めから異界にいた。そこに相互の苦しみを通じて回路が生まれたのだろう。