「革命バカ一代」

承前*1

雨宮処凛「革命バカ一代、塩見孝也、死す。」http://www.huffingtonpost.jp/karin-amamiya/shiomi-takaya_a_23292454/


曰く、


塩見さんとの思い出は数えきれないほどあるけれど、印象深いのは、晩年の塩見さんの周りには、いつも「生きづらさ」を抱えた若者たちがいたことだ。2010年、突然「生前葬をやる」と言い出し、本当に開催した際には、長年ひきこもりだった若者が、塩見さんを歌った「オレは駐車場管理人」という自作のラップを作って披露。それ以外にも、不登校だったり、リストカットの経験があったりという若者がいつも塩見さんの周りには集まっていた。

なぜ、「世界同時革命」とか言ってる元赤軍派議長の周りに若者たちが嬉々として集まっていたのか。もともとは私自身もその一人だったわけだが、それは「塩見さんの近くにいると、自分の悩みがどうでもよくなる」という作用があったからだ。

前回の原稿で、自分の「死にたかった頃」の話を書いた*2。同じように「死にたい」と口にする多くの人との出会いが私を生かしてきたわけだが、塩見さんとの出会いも、確実に私の「死にたい」気持ちを脱臼させた。

獄中20年で、個人で破防法適用とかされて、いまだに「世界同時革命」とか口にする塩見さん。その存在は、私の中に根深くあった「ちゃんと生きなければならない」という気持ちを一瞬で霧散させるものだった。なんだ、こんなメチャクチャな生き方してもいいんだ。一生「革命」とか、中2病みたいな感じで生きてていいんだ、と。

しかも塩見さんは、何かあればすぐになんでもかんでも資本主義のせいにする。そのことは、生きづらい若者たちにとって大きな「免責」を与えてくれた。他の大人たちは、勇気を出して悩みを相談したところで、みんな「自己責任」とか「お前の努力が足りないんだ」とかそんなことばかり言うけれど、塩見さんはどんな状況の若者に出会おうとも、「それは資本主義のせいだ!」と断言していた。元赤軍派議長に、お前の生きづらさの原因は資本主義だとお墨付きをもらう。これほど強烈な「癒し」を、私は他に知らない。

が、常々、私は心のどこかで「塩見さんが自分のお父さんじゃなくてよかった」と思っていた。ちょうど親子世代で、塩見さんには私と同世代の息子がいることは知っていた。会ったこともないその息子に、勝手にずっと同情していた。だって、自分の父親が常に全力で反抗期だったら、どういう方向性で生きていこうか、いろいろと悩むはずだ。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171115/1510719628

*2:「私が「死にたい」と言ってた頃〜座間の9人殺害事件を受けて〜の巻」http://blogos.com/article/259184/ Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171116/1510797334