ベッキー以降

境治*1「私たちは「人の不倫をなじること」に侵されている〜テレビは何時間不倫を報じたか〜」https://news.yahoo.co.jp/byline/sakaiosamu/20170830-00075044/


「エム・データ」という会社*2がTVの放送内容を文字化した「メタデータ」によると、「不倫」関係の放送時間は2014年は27時間42分、2015年は21時間29分だったのに対して、1月に「ベッキー騒動」*3があった2016年は一気に6倍以上の170時間05分まで跳ね上がっている。2017年は8月27日の段階で既に120時間54分に達している。
現在は不倫(バッシング)ブームといえるのだが、たしかに「不倫」というのは昔から週刊誌やワイドショーといったB級ジャーナリズムの好物だったわけだが、みんながここまで不倫(バッシング)好きになったのはここ数年のことだということになる。では、何故急に? 上掲の境氏の記事を援用している門田ゲッツ「不倫した有名人への過剰なバッシングは、「不倫は社会に対する裏切り行為」という怒りが生み出している?」という記事*4では、


 おそらく不倫は個人間を超えた、「社会」に対する裏切り行為だと思われている。自分たちは結婚(恋人でもいい)という「契約」を守っているし、守ろうとしている。そうすることがよいことだ。なぜならそれが「社会」にとって当たり前だから。それに従って、自分は不倫しないようにしているし、パートナーも自分と同じようであって欲しいと信じている。だから誰かが不倫をすると、「こっちは努力しているのに。ズルしやがって」といった気持ちや「パートナーも実は自分を裏切っているのかもしれない」と不安を覚える。不倫したタレントは自分たちを騙していた。自分をこんな気持ちにさせるなんて。これは「社会」への裏切り行為だ。当然、罰せられるべきだ。そんな気持ちが働いているのではないだろうか。

 そして、その不安や怒りは、不倫したタレントらを叩くことで解消される。叩けば叩くほど、「自分は不倫するような人間ではない。あいつとは違う」と自分に言い聞かせることができ、また周囲にアピールすることもできる。怒りを表明し、さらに社会的制裁を加えさせることによって「こうなるのだから、不倫するな」と警鐘も鳴らせる。裏切り者が始末されることで、また安心して生活を送ることにできる。

 「不倫ブーム」がここまで加熱しているのは、自分たちは間違っていない、と繰り返し確かめようとする気持ちが要因のひとつなのかもしれない。だがそうやって、モラルに反した人間を徹底的に叩き落とそうと目くじらを立てる社会は、誰にとっても生きづらい。次に叩き落とされるのが、自分かもしれないという不安を覚え、さらに叩き合いが過熱するかもしれない。

と考察している。肯ける部分も多いのだが、いちばん致命的な問題は、ここ数年間の変化ということを説明できないということだろう。ニーチェなら、基督教の誕生以来或いはプラトン以来、世の中はそういうものだったよと言うかも知れない。さて?
なお、「不倫」を暴く立場の言い分も切り取っておく。「江角マキコの落書き事件、松居一代の騒動、宮崎謙介議員(当時)のゲス不倫などを担当した」『週刊文春』記者の発言;

どのように情報を集めているのか聞かれると、「情報源は絶対守らないといけないので基本的には言えない」とした上で、ターゲットとなる人を尾行したり、タレントの友人・知人、芸能人の客が多い飲食店の従業員、元業界人などに取材して情報を集めていると明かした。現在はSNSも大事な情報源だという。

また、第1弾で終わらず、第2弾、第3弾と続報を掲載することについて、「文春の美学じゃないですけど、"10を知って1を書く"と昔から言われている。出ているものは一部分でしかないと思っていただいて間違いない」と説明。そして、「現場のわれわれは不倫が悪いとか断罪するつもりはない。"そこに山があるから登る"じゃないですけど、不倫してるから撮るし書く」と話した。
マイナビニュース 「『週刊文春』次なる不倫スクープは「帯番組の司会者」- 現役記者明かす」http://news.livedoor.com/article/detail/13640139/