マルクス主義の或る種の勝利その他

http://anond.hatelabo.jp/20070503183747


「これ以上金持ちを増やすと都合が悪い」という富裕層の思惑によって、格差社会という言葉が生まれたのはご存知だろうか。


富裕層にとって、この「格差」という単語は計り知れないほどのメリットがある。その代表的なものを3つ下に書き記しておこう。


1:貧困層が自分が貧乏な理由を「自分のせいではない、格差のせいだ」という単語1つで片付けることができる。そのため、人のせいにし続けていくうちに金持ちになる意欲がなくなり、自分の今置かれている境遇に満足するようになる。


2:格差というテーマを扱う時、金持ちは必ず悪いイメージで報道される。そのため、貧乏人は「ああはなりたくねえな」と金持ちになることを自ら拒否するようになる。


3:マスコミは金持ちより貧乏人の方が圧倒的に多く、貧乏人を相手にした方が結果的に儲かることを知っているので、ワーキングプアネットカフェ難民などの新語を次々に発表し、貧困層を煽り視聴率や発行部数を伸ばす。その影響で、サービス残業等厳しい環境で働いている人たちが「ここまでなるなら、今の職の方がマシ」と、ひどい環境の職場を辞めることができなくなる。

このうちの3についていうと、たしかに「貧乏人」同士の〈内ゲバ〉を誘発する、或いは幸いにも「貧乏人」ではない人の不安とかルサンティマンを掻き立て、ビンボー人を製造するという効果はあるのだろう*1。もし「貧乏人」と全く無縁であれば、フリーターがデモをしたくらいであんなに過敏に反応する筈がない。馬鹿なことやってるねとか面白い見世物だねということで、煙草の煙と運命を共にするだけだろう。
さて、最初の文章に戻ると、今の世の中、或る種のヴァージョンのマルクス主義がリヴァイヴァルしているのかしらとも思ってしまう。昔、左翼の人たち*2がマスコミも政治も、というより世の中の一切合切は支配階級が自らの利益を追求するための手段にすぎないといっていた。それを聞いて、世の中そんな単純なわけないだろうと一瞬引いたりもした*3。現在では、そういう認識を公にしても取り立ててアカ呼ばわりはされないらしい。このことは、『女王の教室』とか『ドラゴン桜』といったドラマでも感じていた。http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061102/1162474253で、「この2つのドラマからは、格差社会というか特権社会を告発しつつ、その上で、それを社会変革ではなくて(自己責任的な)個人的な努力によって〈勝ち組〉となることでサヴァイヴァルしていこうというメッセージを読み取ることができる」と書いている。また、この手の語りからは、〈勝ち組〉になって何をしたいのかということが見えてこないということもある。それは〈勝ち組〉になっていないのだから仕方がないとはいえるが。
それから、金持ちとお友達になるのが吉というのはその通りだと思う。実は大学制度の最大の機能というのは(誰も当事者はそのことを口にしないが)そのためのチャンスを提供するということであろう。

*1:例えば、http://d.hatena.ne.jp/haniel/20070501/1177996577とか。ところで、「ワーキングプア」と呼ばれる人の中で、〈夢追い系〉の人ってどれ程いるのか。状況が厳しいからこそ、〈夢〉くらい持っていないと生きづらいだろうというのはある。しかし、私が知っている限りでの「ワーキングプア」には〈夢〉を持っている人は少ない。というか、時間的パースペクティヴが現在に釘付けにされてしまっている人が殆どだ。逆に、「ワーキングプア」の状態にありながら生き生きしている人がいるとすれば、それは〈夢〉を持っているからなのだろう。月並みではあるが。

*2:勿論、左翼の全てがそういっていたわけではない。

*3:これはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060428/1146248997とも関係あり。