颱風特需?

東京の空間人類学 (ちくま学芸文庫)

東京の空間人類学 (ちくま学芸文庫)

キャリコネ編集部「台風19号の影響で27年前の学術書ツイッター話題→重版決定 出版社「今までにない反響」」https://news.careerconnection.jp/?p=80306


曰く、


甚大な被害が出た台風19号*1。関東に上陸し、都内でも避難勧告が呼びかけられる事態となった。そんな中、ツイッターで「東京23区で浸水するエリア、しないエリアの違いに興味がでた人」にと紹介された本が話題になっている。

注目が寄せられているのは『東京の空間人類学』(陣内秀信著/ちくま文芸文庫)。都内書店に問い合わせると5店舗中4店舗が在庫なし。筑摩書房は10月16日、ツイッターで「問い合わせ多数のため、緊急重版を決定しました」と発表した。(後略)

以下、「山の手」と「下町」の区分を中心に『東京の空間人類学』の紹介が行われている。
「山の手」を特徴づけるのは「坂」、「下町」を特徴づけるのは(特徴づけていたのは)「水路」ということになる。以前私は山の手の東京を「山岳都市」と呼んだことがある*2
でも、『ブラタモリ*3のような街歩きの人気も地味ながら根強いので、別に颱風とか関係なく『東京の空間人類学』への需要はあるんじゃないか。
ところで、話題の『東京の空間人類学』は文庫版であって、オリジナルの単行本が刊行されたのは1985年のこと。

内戦

聞くところによると、百田尚樹杉田水脈との間で内戦が勃発しているという。自由主義者或いは左派はこれにどう対処していけばいいのか。勿論正解はないのだろうけど、端的に間違っているといえることは少なくとも1つはあって、それは敵の敵は味方という発想に基づいてどちらか一方にコミットすること。

『ジャズ』など

本を買った。

Toni Morrison『ジャズ』(大社淑子訳)ハヤカワepi文庫、2003

ジャズ―トニ・モリスン・セレクション (ハヤカワepi文庫)

ジャズ―トニ・モリスン・セレクション (ハヤカワepi文庫)

ヨシタケシンスケ『あるかしら書店』ポプラ社、2017
あるかしら書店

あるかしら書店

Herge『ふしぎな流れ星』(川口恵子)福音館書店、1998
ふしぎな流れ星 (タンタンの冒険)

ふしぎな流れ星 (タンタンの冒険)

『ジャズ』と『あるかしら書店』は日本橋の誠品生活*1で、タンタンは銀座の無印良品*2で買った。

「湧水の街」!

「湧水の街 和光市巡り」『MwtroWalker』2019年秋号、p.11


柿ノ木坂湧水公園(和光市新倉1)
富澤湧水(和光市白子2)
青龍寺不動院和光市白子2)
大坂ふれあいの森(和光市白子2)


が紹介されている。
実は、大学のとき、1年間「和光市*1の2つ先の朝霞台まで通学していたのだが、その頃を含めて、和光市駅の改札をくぐったことは殆どなかった。理研本部の所在地ということは知っていたけれど。「和光市」というのはあくまでも東武東上線有楽町線の乗換駅だった*2

さらに北へ?

承前*1

東京オリンピックのマラソン競歩を札幌に移すというプラン、オリンピックのオフィシャル・サイトも詳細に伝えている;


International Olympic Committee Announces Plans to Move O;ympic Marathon and Race Walking to Sapporo” https://www.olympic.org/news/international-olympic-committee-announces-plans-to-move-olympic-marathon-and-race-walking-to-sapporo


さて、『スポーツ報知』の記事;


玉川徹氏、マラソン札幌開催検討で「ある意味ウソをついたことに…」五輪立候補ファイルに「温暖」の記述
10/17(木) 9:16配信スポーツ報知


 17日放送のテレビ朝日羽鳥慎一モーニングショー」(月~金曜・前8時)では、国際オリンピック委員会(IOC)が16日に東京五輪の猛暑対策として陸上のマラソン競歩を札幌開催に変更する案の検討に入ったと発表したことについて伝えた。

 コメンテーターで出演の同局・玉川徹氏(56)は「なんでこんな事態になったのか、原点は何かと考えると、2013年の招致委員会の時の立候補ファイルというのがあるんです」と指摘。同ファイルの「理想的な日程」の項目を読み上げ「『この時季の天候は晴れる日が多く、かつ温暖である。アスリートが最高のパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である』と書かれている。これを世界に訴えて東京に招致したんです」と話した。

 つづけて「温暖っていう言葉を辞書で引いたんですけど『あたたかい』なんですよ」とあきれたように言うと、羽鳥慎一アナウンサー(48)も「あたたかいじゃないですね『ものすごく暑い』ですね」と同調した。

 玉川氏は「これを聞いて、今、日本人の中でその通りだって言える人が何人いるか。ある意味、ウソついたってことになるんじゃないでしょうか」と見解を示していた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191017-00000020-sph-spo

玉木正之*2は、ロバート・ホワイティング氏との対談で、

秋にやれないのはアメリカのテレビ局のせいでしょう? もっとも猪瀬直樹都知事時代の招致委員会がIOCに出したペーパーには、真夏の東京は選手が最大限の力を発揮するスポーツに最適の気候と書いてありましたけどね。
と述べていたのだった*3
北方領土でやれ、と主張している人もいるようだ;

ラソン変更「それなら北方領土くらいで」 小池知事
軽部理人 2019年10月17日19時10分


 2020年東京五輪のマラソン競歩をめぐり、国際オリンピック委員会(IOC)が暑さ対策として、会場を東京から札幌に移す計画を発表したことについて、東京都の小池百合子知事は17日午前、「たぶん東京は一番最後に知らされたんじゃないか。まさに青天のへきれきだ」と述べた。

 都内であった連合東京の定期大会での来賓あいさつで発言した。「マラソンコースではそれぞれの自治体や地域の方々が楽しみにして、どうやって盛り上げようかと考えていたところ、突然降ってわいたような話」と明かした。

 また「涼しいところでというのなら、『北方領土でやったらどうか』くらいなことを連合から声を上げていただいたらと思うわけです」とも発言。さらに「ロシアのプーチン大統領と親しい総理や森(喜朗・大会組織委員会)会長でいらっしゃるから、『平和の祭典を北方領土でどうだ』ということぐらい、呼びかけてみるのはありかと思います」と述べた。

 北方領土をめぐる発言について、小池氏は17日夕方、記者団の取材に対し、「突然の札幌、北の方だからということだったので、一案として申し上げた」と述べた。「発言の撤回は」と尋ねられると、「一案ということ」と繰り返した。

 一方、組織委の森会長は、都内で記者団に「きわめて無責任なことだ」と述べた。(軽部理人)
https://www.asahi.com/articles/ASMBK3TFVMBKUTIL012.html

11月に延期

NHKの報道;


即位に伴う祝賀パレードは来月10日に延期へ
2019年10月17日 15時49分


天皇陛下の即位に伴い、今月22日に予定されていた祝賀パレード、「祝賀御列の儀」について、政府は、台風19号*1の被災地への対応に万全を期すなどとして、およそ3週間延期し、来月10日に実施する方針を固めました。

政府は、憲法で定める国事行為として、今月22日に、天皇陛下が即位を内外に宣言される「即位礼正殿の儀」を行うとともに、祝賀パレードの「祝賀御列の儀」や、祝宴にあたる「饗宴の儀」を予定していました。

しかし、台風19号により広い範囲で甚大な被害が発生したことを受けて、政府は、被災地の復興・復旧対応に万全を期すなどとして、このうちの「祝賀御列の儀」について、およそ3週間延期し、来月10日に実施する方針を固めました。

一方、「即位礼正殿の儀」や22日から4回に分けて開く「饗宴の儀」については、予定どおり行うことにしています。

政府は、「祝賀御列の儀」の日程などについて、18日の閣議で、改めて決定することにしています。


市民「お祝いは落ち着いたら」
天皇陛下の即位に伴う「祝賀御列の儀」が延期されることについて、都内で話を聞きました。

東京・多摩市に住む76歳の女性は「被災地が大変な状況なので対応を優先してパレードを延期するのはいいと思う。自分は、上皇さまが結婚されたときのパレードを見た経験があるが、やはり、災害などがないときにお祝いするのがいいのではないか」と話していました。

埼玉県新座市に住む22歳の大学生の女性は、「被災地のことを思うとパレードどころではないと思うので、延期するという判断でいいと思う」と話していました。

また、東京・大田区の83歳の男性は「多摩川の近くに住んでいて自宅付近は被害がなかったが、もしかしたら自分も被災者になった可能性がある。天皇陛下も被災地を心配されていると思うし、お祝い事なので落ち着いたときにやったほうがよい」と話していました。


「祝賀御列の儀」とは
「祝賀御列の儀」は、天皇陛下が、皇后さまとともに、広く国民に即位を披露し祝福を受けられる儀式で、祝賀パレードにあたります。

今月22日、即位を内外に宣言する「即位礼正殿の儀」に続いて午後3時半から国事行為として行われることになっていました。

天皇皇后両陛下がオープンカーで皇居・宮殿を出発し、二重橋前交差点、国会議事堂正門前を経て青山通りに入り、およそ4.6キロのルートを通り抜けて午後4時ごろ、赤坂御用地にあるお住まいに到着される予定でした。

前回、上皇さまが即位された際のパレードでは、およそ11万7000人が沿道に詰めかけ、即位を祝いました。

今回のパレードで使われるオープンカーは、先月、納車されて皇居に運ばれ、皇居内でドライバーの習熟のための訓練が行われるなど準備が進められています。

儀式まで1週間となった15日には、両陛下が「即位礼正殿の儀」のリハーサルに臨み、リハーサルのあとに皇居内でオープンカーに試乗されました。一方、天候が悪化する見通しの場合、パレードは4日後の26日に延期され、26日も悪天候が予想されれば、取りやめられることになっていました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191017/k10012136401000.html

「延期」がまだ決定していなかった段階での記事「即位に伴う祝賀パレード 延期の方向で調整 台風対応で」からメモ;

これまでにも大きな災害や事件が起きた際には皇室の祝賀行事などが延期されたり、取りやめられたりしてきました。

大正12年には関東大震災を受けて、当時皇太子だった昭和天皇の結婚の儀式が延期されました。昭和34年には、東海地方に甚大な被害をもたらした伊勢湾台風を受けて、秋の園遊会が延期されました。

平成に入ってからも、平成7年の阪神・淡路大震災を受けて、春の園遊会が取りやめになりました。

翌平成8年には、南米ペルーの日本大使公邸で起きた人質事件に配慮して、天皇誕生日の祝賀行事や一般参賀が取りやめになりました。

平成23年には、東日本大震災の発生を受けて春の園遊会が取りやめになりました。

平成25年には、台風26号の大雨で伊豆大島などで大きな被害が出たことを受けて、上皇后さまの誕生日の祝賀行事が取りやめられました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191017/k10012135891000.html

Guardian on Harold Bloom

承前*1

Eric Homberger*2 “Harold Bloom obituary” https://www.theguardian.com/books/2019/oct/15/harold-bloom-obituary


少し抜書き。


“Criticism,” observed the literary critic Harold Bloom, who has died aged 89, “starts (it has to start) with a real passion for reading.” Blessed with extraordinary gusto as a reader, Bloom claimed to have read everything. He could quote the classics of English and American poetry by heart. He forgot nothing, and retained his passionate love for literature and belief in its supreme value through dark decades in which “literary theory” – a term he scorned – threatened to displace the study of literature in US higher education.
ハロルド・ブルームは英国浪漫主義の研究家として出発したが、その前提としてT・S・エリオットの古典主義に対する反発があり、ブルームをエリオットから解放したのはノースロップ・フライ*3だった。

In the work of Frye, Bloom discovered his “authentic precursor”: “It ravished my heart away. I thought it was the best book I ever read about anything. I must have read it a hundred times between 1947 and 1950, probably intuitively memorised it, and will never escape the effect of it.”

Blake’s Apocalypse: A Study in Poetic Argument (1963) was followed by a study of Yeats in 1970, and a year later The Ringers in the Tower: Studies in Romantic Tradition, in which he tried to show, in the face of modernist orthodoxies, that the Romantic imagination was the formative presence in the greatest Victorian and modern poets. In his early 40s, Bloom had become the dominant figure in the academic study of Romanticism and its heritage.

そして、「影響」論の1970年代;

In the 1970s he turned from the study of the Romantic imagination to the subject of originality itself, and its impossibility. In two powerfully influential books, The Anxiety of Influence (1973) and A Map of Misreading (1975), Bloom argued that literary texts were born under the shadow of predecessors. This titanic literary contention between fathers and sons (seldom between mothers and daughters) represented the anxious struggle of the poet before the “cloud of presences” in the very language of poetry itself.

“No poet can write a poem,” he argued, “without, in some sense, remembering another poem.” Others had made similar claims, but Bloom’s formulation of relations between poets came with an exotic specialist terminology of ratios: clinamen, tessera, kenosis, daemonization and askesis (that is, swerving, completing, emptying, displacing and diminishing). This mainly served to distract attention from Bloom’s passionate love for poetry itself.

The Anxiety of Influence: A Theory of Poetry

The Anxiety of Influence: A Theory of Poetry

A Map of Misreading: With a New Preface

A Map of Misreading: With a New Preface

1980年代以降、ブルームは一貫して(文学や批評における)多文化主義フェミニズムポストモダニズムなどに対する〈アンチ〉として振る舞ってきた。ブルームの知識人としての名声がアカデミズムを超えた一般読者にまで拡散したのは、こうした〈保守反動〉の振舞いを契機としてであった;

In the US culture wars, Bloom shared the feeling of heavyweight pontificators such as Allan Bloom (no relation)*4 and George Steiner that the wretched “American century” (the US-dominated 20th century) was the endtime of cultural values as the west had known them for millennia. Yet he called Philip Roth, that maestro of transgression, the greatest of contemporary American novelists, and was scathing of the misdeeds and warmongering of President George W Bush. Increasingly a public intellectual, Bloom fired from the hip. Impact, not consistency, defined his polemical style. He relished his growing celebrity.

Bloom’s cultural polemics were sharp-tongued and colourful, but his smile was warm and boyish. There was a roly-poly gentleness about him which reminded students of Paddington Bear. If you came under fire from him, he could be altogether more aggressive and insulting. His targets encompassed Michel Foucault, multiculturalism and a miscellaneous horde of “camp-followers afflicted by the French diseases, the mock-feminists, the commissars, the gender-and-power freaks, the hosts of new historicists and old materialists”. He reserved more than a little scorn (richly reciprocated) for the “wretched” Terry Eagleton*5, leader of the “rabblement of lemmings” and the “School of Resentment”.