重慶事件、汪暉など(メモ)

承前*1

所謂重慶事件の政治思想的な側面に関してメモ。


石井知章「重慶事件における新左派の役割と政治改革のゆくえ(上)」http://chikyuza.net/n/archives/23836
      「重慶事件における新左派の役割と政治改革のゆくえ(下)」http://chikyuza.net/n/archives/23856


中国における「新自由主義者」と「新左派」の密かな補完関係。汪暉*2、特にその「去政治化」論に対する批判。石井氏によれば、重慶事件が突きつけているのは、毛沢東文革)への回帰か1980年代の胡耀邦趙紫陽ラインへの回帰かということになるだろうか。これは思想史的な課題としての1980年代啓蒙運動(思想解放運動)の再評価ということに呼応するか。
ところで、重慶事件を巡る思想界の動きに関して、「重慶模式」をプッシュしていた楊帆(中国政法大学教授、経済学)の言説をマークしておく;


「7年反思:極左怎麽綁架左翼」http://www.21ccom.net/articles/sxwh/shsc/article_2012061161639.html
「楊帆答記者問:重估重慶模式」http://www.21ccom.net/articles/sxwh/shsc/article_2012050559012.html


またこれに関連して、


葉蔭聡「”烏有之郷”與”重慶模式”:対一群”毛左”與”中左”的観察」http://www.21ccom.net/articles/sxwh/shsc/article_2012041857930.html


現代中国の政治思想一般に関して、

邱実「中国当代政治思潮芻議」http://www.21ccom.net/articles/sxwh/shsc/article_2012011952245.html


「左派」/「右派」の意味合いが中国という文脈と日本などの文脈でずれているということもあるのだが*3、「新左派」と「保守主義」が(一部で)交わっていることも話をややこしくしている。「新左派」であり且つ「保守主義者」を自認しているのは甘陽*4。彼はシカゴ大学アラン・ブルームに師事しているので、レオ・シュトラウスの系譜を引く「保守主義者」だといえる。そこで、最近の甘陽批判として、


方紹偉「新左派與甘陽的瘋狂」http://www.21ccom.net/articles/sxwh/shsc/article_2012021553735.html http://www.21ccom.net/articles/sxwh/shsc/article_2012021553735_2.html


ピエール老師の


「汪暉、重慶事件を語る(上)」http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20120615/p1
「汪暉、重慶事件を語る(下)」http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20120621/p1


汪暉「重慶事件──密室政治と新自由主義の再登場」(『世界』2012年7月号)へのコメント。驚いたのは「新左」と「毛左」はこれほどまで接近していたのかということ。『南方』系陰謀論というのはそもそも「毛左」のおはこではありませんか*5。また温家宝の〈強権発動〉。私としては、それまで党内・政府内で孤立無援の感があった温家宝*6が〈強権〉を発動し得るようになった、空気の変化の方こそ知りたい。それから、「汪氏のような左派系の知識人が良い意味での「左派」性を保ちながら言論活動を行っていくためには、今回の論考のように様々な社会矛盾の根源を、新自由主義という外部の思想に求めるのではなく、自らもどっぷりとつかった中国政治文化そのものに求め、それを「内破」させていく姿勢がどうしても必要になってくると思う」というのはその通りだと思う。但しそこにはどうしても〈文化本質主義〉に陥ってしまうというリスクは存在するけれど。またこれは、1980年代の啓蒙運動(という〈未完のプロジェクト〉)の再評価ということとにも関わっている。
因みに、「スキャンダル」と「重慶模式」の是非とは議論を分けるべきだというのは、「右派」である李銀河老師も既に主張している*7