可能性としての不具合

伊藤亜紗*1「障害と科学技術 呪縛からの解放」『毎日新聞』2023年1月14日


キム・チョヨプ、キム・ウォニョン『サイボーグになる』という本の書評。


キム・チョヨプは一九九三年生まれのSF作家。聴覚障害の当事者で女性、大学では自然科学を専攻した。キム・ウォニョンは一九八二年生まれの弁護士。骨形成不全症*2という難病の男性であり、作家、パフォーマーとしても活動している。(後略)

著者たちが注目するのは、サイボーグのリアルな姿だ。技術を含む物理的環境の影響を受けやすい障害者は、機械と身体の接合部が決して滑らかではないことを知っている。「皮膚のただれや炎症」は日常茶飯事だし、「バッテリー残量五パーセント」の恐怖は消えず
機械は高価で専門的なメンテナンスを必要とする。科学技術は輝かしい未来を描くことで希望を与えるが、それはあまりに楽観的で時として過大広告的だ。必要なのは、遠い未来の最先端技術や医療の画期的な発展ではなく、「継ぎ目」をケアしてくれるもっと現実的なアイディアなのだ。

本書の核となっている概念のひとつは「クリップ・テクノサイエンス」である。「クリップ(crip)」は直訳するならば「不具」という意味。性的少数者を指す「クィア」と同様に、当事者があえて差別用語を使うことによって、その意味を反転させようとする言葉だ。日本ではあまり馴染みがないが、米国では二〇〇〇年以降広がりを見せている。
つまり「クリップ・テクノサイエンス」とは、「不具の技術科学」のこと。従来の技術開発が主に障害者の「ために」、非障害者によってなされてきたのに対し、「 クリップ・テクノサイエンス」は、障害者自らが知識の生産者になろうとする。前者は、善意に基づくとしても、障害は克服すべき欠陥とみなしがちだったのに対し、後者は障害を可能性の源とみなす。技術の向かうべき方向に当事者が介入することは、建物の入り口に車椅子用のスロープをつけることと同じ、いやそれ以上に根本的な、環境への重要な介入なのだ。

(前略)私たちは科学技術を「最適解」「合理化」「普遍」の呪縛から解放する時期に来ているのではないだろうか。人々の生を支えるものである以上、科学技術は多様な視点に対して開かれたものであるべきだ。著者たちの特徴は、当事者でありながら障害を語ることに距離があることだ。障害学以外の学問的背景をもつ彼らだからこそ、具体的かつ実践的、創造的な議論ができているように思う。すがすがしい。