VRと身体(ジャロン・ラニアー)

伊藤亜紗*1「話題の本」『毎日新聞』2020年7月18日


曰く、


その〔ジャロン・ラニアーの〕自伝『万物創生をはじめよう――私的VR事始』(谷垣暁美訳・みすず書房・3960円)には、80~90年代のシリコンバレーの空気を味わえるエピソードが満載だ。コンピューターの可能性に引き寄せられた天才たちの尖りぶりは期待を裏切らないが、意外だったのはコミュニティーにおいて女性たちが果たしていた役割である。ラニアーが「GNP(グランド・ネットワーキング・フィーメール)と呼ぶ、社交的で実力のある女性たちが、人と人を結びつけ、テクノロジーの潮流を作り出していたのだ。

そして何より興味深いのは(略)ラニアーのVR観である。驚いたのは、彼のVRが最初期の段階からハプティクスを重視していたことだ。ハプティクスとは、物を触ったときの感触や、自分自身の体の動きや姿勢を感じ取る触覚のこと。当時の写真を見ると、確かに頭には今のものと似た形状のヘッドマウントディスプレイが乗っかっているが、同時に手には「データグローブ」と呼ばれる手袋をはめている。この手袋を通して与えられる刺激によって、VR内の物であっても、摑むと確かに「手応え」を感じることができるのだ。
ラニアーが強調するのは、重要なカンバスはバーチャル世界ではなくユーザーの体だ、ということだ。もし手首を回転させたときに雲が開店する仕掛けになっていたら、私はその雲を自分の体の一部だと感じるだろう。VRとは、その中で自分の体をつくり変えるものである。現代の資格偏重のVRが置き忘れた、体と人間の可能性に対する信頼と愛が、どこまでも温かい。