「自分のなかで迷子に」

伊藤亜紗*1「話題の本」『毎日新聞』2020年6月20日


ウェンディ・ミッチェル『今日のわたしは、だれ?』(宇丹貴代実訳、筑摩書房)について。「若年性アルツハイマー認知症の当事者による、わたしの手元を離れていくわたしとの、美しく繊細な対話の記録」。評者の伊藤さんは、「若年性アルツハイマー認知症」を生きることについて、「不意に自分のなかで迷子になってしまうわたし」、「脳と体が会話していない」と表現している。


心動かされたのは、亡き母や父と再開するシーンである。ウェンディは病気の症状で時おり幻覚が見える。薄明りの中、母が廊下をせかせかと歩いていたり、父がこちらに微笑みかけていたりするのだ。それは病が与えてくれた恵みだ、とウェンディは言う。幻覚はやがて去るだろう。それまでは好きなように見させてほしい。ウェンディにとって、それは紛れもない現実なのだから。