中庸ではない「中庸」

末木文美士『日本の近代思想を読みなおす2 日本』*1から。
国学を「自尊主義」的方向へ「大きく一歩を進めた」のは本居宣長の弟子、服部中庸*2だった。


(前略)中庸の『三大考』は、天・地・泉の成立を図を用いながら論じたもので、虚空からアメノミナカヌシ・タカミムスビカミムスビの三神の力で、天・地・泉が形成される過程を十段階に分けて論じている。天(タカマガハラ)は日(太陽)であって、アマテラスが支配し、泉(ヨミ)は月でツクヨミが支配する。地はスメミマ(皇御孫)が支配するところである。中庸は天文学にも通じており、神話の世界観を天体と結びつけ、その成立論を体系的に論じたところに、画期的な意味があった。その中で、皇国はイザナギイザナミの二神から生まれ、天に通じている点で、他の諸国に優越する。他国は二神の産んだ国ではないので、その点ではっきりした差別が生ずることになる。
このように、『三大考』は、宣長がなしえなかた日本古典に基づく世界観を体系化し、その中に日本優越の自尊主義を理論づけた。その際、注目されるのは、第一に、死後の魂の行方の議論が関わってくることである。宣長は死後の魂は黄泉に行くとしたが、それ以上のことはわからないと断念した。それに対して、中庸がはじめて読みの位置づけを明らかにしたことは、この語の議論に大きな影響を与えることになった。第二に、世界に優越する支配者として天皇が大きくクローズアップされることである。皇国の天皇のみが世界の支配権を委託され、代々継承していく。その支配の範囲は当然日本のみに限られず、この地上の世界全体にわたることになる。この説は、この後の平田派の神道家たちに継承され、さらに天皇支配を根拠とする自尊主義は昭和の国家主義超国家主義にもつながることになる。
『三大考』は、宣長生前に『古事記伝*3の刊本の最後に、宣長の推薦を付して刊行された。即ち、宣長のお墨付きを得たことになる。それが宣長没後に問題になり、養子の大平*4が批判を展開するなど、大騒動に発展した(金沢英之宣長と『三大考』』、二〇〇五)。その中で、『三大考』を積極的に受容したのが、平田篤胤であった。篤胤の主著『霊能真柱』は、『三大考』の修正版と言ってよく、その図を踏襲する中から自説を展開している(後略)(pp.28-30)