「自分のもののようで自分のものではない」

「文藝春秋」編集部「「吃音(どもり)」の謎――成人の100人に1人が持つ障害」http://bunshun.jp/articles/-/8753


美学者の伊藤亜紗さん*1へのインタヴュー。「吃音」*2を論じた著書『どもる体』を巡って。彼女自身も「吃音」だったのね。


著者の伊藤亜紗さんの専門は美学だ。『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)でも、視覚障害者の世界のとらえ方を描いた伊藤さんだが、なぜ身体を題材に選んできたのだろうか。

「“美学”とは、哲学の兄弟のような学問ですが、哲学とは違って、芸術や感性など言語化しにくいものをあえて言語を使って分析する学問です。身体に関心を持つのは、それが究極の問いに思えるから。人は誰しも、性別や顔立ち、能力など、生まれ持った身体の条件と、一生付き合わなくてはなりません。このままならなさを考えるうえで、吃音が有効な手掛かりになると考えました。なぜなら吃音というのは、しゃべるという日常的な行為のなかで、体のコントロールがはずれる現象だからです」


社会性を重んじる場では、吃音を持つ人はもどかしさを感じることが多いだろう。しかし、吃音の謎が示すのは、人間は誰しも、「自分のもののようで自分のものではない」体と付き合いながら生きている、という事実だ。

「吃音や視覚障害に限らず、新しい技術や言語、振る舞い方などを身につけるとき、人は試行錯誤を繰り返し、体を変質させていきます。常にそばにいる“新たな私”と出会うことのおもしろさが伝われば嬉しいです」

当事者として言わせていただくと、たしかに「吃音というのは、しゃべるという日常的な行為のなかで、体のコントロールがはずれる現象」なのだけど、その際に、「コントロール」を回復しようとすると、却って吃るということはいえる。
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