「面白そう!」は駄目?

承前*1

みえるとか  みえないとか

みえるとか みえないとか

ヨシタケシンスケ伊藤亜紗「この絵本ができるまで」in 『みえるとかみえないとかができるまで』(ヨシタケシンスケ『みえるとかみえないとか』の附録。
少し抜書き。


ヨシタケシンスケ(ヨシタケ) 子どもの頃、視覚障碍者の方が歩いているところを見かけて、「あんぉ人は何をしているの?」と母親に尋ねたことがあります。「目が見えないから、杖をついて歩いている」と聞いたときに、僕、「面白そう!」と言ったんです。
そyしたら、「あの人は、好きで見えないわけじゃない。じろじろ見たり、面白がったりするんじゃない」と、すごく怒られました。自分はとても悪いことをしてしまったんだ、と思ったことを覚えています。
でも先日テレビを見ていて、視覚障害の話になったときに、うちの息子も「面白そう!」って(笑)。そうなんだよなあ、と思いました。(視覚障害のことを)知らないと、見えない状態で歩いたりすることって、スイカ割りと同じようなドキドキに感じられるんですよね。
伊藤亜紗(伊藤) 障害の問題って、「実際はどうなんだろう」と調べたり想像したりする余地もなく、「ダメはダメ」「見ちゃダメ」と反射的に言ってしまうようなところがありますよね。
ヨシタケ 僕自身も、どういう言葉を返せばいいんだろう、とずっと思っていた一人です。
絵本の中で、主人公が目の見えない宇宙人に向かって「目が見えないって、なんか面白そう?」と聞くシーンがあります。宇宙人は「僕は目が見える方が面白いと思うけどねえ」と答えるんですが、それが、子どもの「面白そう!」に対する、僕のひとつの答えです。
見える見えない関係なく、お互いのことは選べない。だから向こうはこっちのほうが面白いと思うんじゃないかな、と。

ヨシタケ 今回、僕が一番勇気が要ったことが、目の見えない人を宇宙人として登場させたことです。
最初は、主人公に近い人(親戚)に目の不自由な方がいて……というアプローチからはじめました。でも、白杖を持って歩いている人を絵に描いてみると、どうしても「かわいそう」に見えてしまう。どうしたらいいんだろう、とそこで立ち止まってしまいました。
伊藤 たしかに、私も本*2を書くときに、「視覚障害者」という言葉がもつ「障害」のイメージを警戒して、なるべく使わないようにしていました。でも絵だといっそう、「僕、私は健常者で、それができない人がいる」「大変そう」といった配慮モードが、自分の中に自動的に立ちあがってしまう感じがしますね。

伊藤 いまの子どもたちって、地球以外の星に行く可能性もある。人間が宇宙に行けば行くほど、「自分が中心じゃなかった!」ということが起こる可能性がありますよね。そうなったとき、「ふつう」の概念も、障害の概念も変わってくるんじゃないかな、と思います。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180731/1532975436

*2:『目の見えない人は世界をどう見ているのか』。