墓はなかった?

島田裕巳*1


庶民が火葬した遺骨をおさめる墓を建てるようになったのは、戦後になってから。土葬時代は墓など庶民はまったく作らなかった。その点で、墓は高度経済成長が生んだブームの一つ。ブームにはいつも終わりがある。だから、最近になって墓じまいが増えている。ブームの後処理だ。
https://x.com/hiromishimada/status/1823193834718986265
というツィートが炎上している。
「 土葬時代は墓など庶民はまったく作らなかった」ということは聞いたことがなかったし、どのような歴史学的・民俗学的エヴィデンスに基づいているのだろうか。島田氏は、時には罵声も混じる批判に対して沈黙を保っているようだ。
批判者の中には、考古学者の山田邦和氏*2もいる;
たしかに「飛鳥時代以降20世紀にいたるまで土葬と火葬は併存していた」わけだけど、大まかに言って、「土葬」が主流だった前近代、「火葬」が主流となり「土葬」の禁止が広がった近代以降という区別は有効なのでは?
何れにしても、「土葬時代は墓など庶民はまったく作らなかった」という島田氏の発言が暴論だというのは明らかだろう。以前も述べたかもしれないけれど、「火葬」が主流になって、当たり前化したのは(〈先祖代々〉と銘打たれることもある)家墓だろう*3。それは火葬によるコンパクトな骨と灰ということで可能になったのであり土葬では一基の墓に数代に亙る家族の遺骸を収納することはスペース上不可能であった。また、江戸時代以来の個人墓を畳んでひとつの家墓に統合してしまったという例もけっこう見られる。ただ、家墓化の趨勢の中で一時的に個人墓が復活したことがあったようで、その契機は戦争だった。出征して戦死した人の場合、家の墓とは別に、勲位や軍の階級が明記された個人墓が建てられるというのはかなり広く行われていたのではないか?