消えた宅八郎

藤武宏「小林よしのり、オウムに暗殺されかけたあの日々を語る」http://news.livedoor.com/article/detail/15058109/


小林よしのり*1オウム真理教を語る。語られているように、氏はオウムによるテロのターゲットだったのであり、これに関してはお気の毒にというしかない。しかし、この記事に関しては、幾つか疑問がある。
「’95年の地下鉄サリン事件後もオウムを擁護する編集部と、教団に命を狙われた小林氏は対立、結果SPA!を去った」とあるけれど、「編集部」が「オウムを擁護」していたのだろうか。実際には、あれはたこ八郎もとい宅八郎*2と小林との確執であって、宅八郎が小林をおちょくるような記事を書いていて、それに小林が激怒したけれど、編集部は宅八郎の連載を切ることはせず、よしりんの怒りは当然収まらず、宅を切らないんだったら、こっちが『SPA!』を切ってやるというふうに、『ゴーマニズム宣言』の連載を打ち切ったということでしょ。記事では宅八郎のたの字も出て来ないので、麻原彰晃オウム真理教)によるテロの脅威が消えた今、宅八郎の粘着はいまだに脅威なのかと思ってしまった。因みに、『SPA!』では、たしか鴻上尚史*3オウム事件を口実とする警察国家化に警鐘を鳴らす文章を書いていたと思う。
「小林氏がオウムと接点を持ったのは、坂本弁護士一家失踪事件の風化を懸念する弁護士から協力の依頼があった’94年のことだ」。ちょうど93年と94年はオウム真理教が世間(マスコミ)に飽きられていた。それは、この時期、麻原彰晃のメディアへの露出もなくなり、派手なトラブルも影を潜めていたからだ。ちょうど松本サリン事件が起こっていたというのに。この外部からみれば静かだった時期、露西亜を初めとする海外での工作の活発化し、教団武装化が水面下で進行していたことが明らかになるのは後のこと。


「’91年に『朝まで生テレビ!』で『幸福の科学VSオウム真理教』をテーマにしたときも、知識人の大半はオウムを擁護し、幸福の科学バッシングに終始したのは、幸福の科学の出演者がスーツを着ていたからだ。スーツは近代の象徴で宗教っぽくない。一方、オウムは貧相で素朴な宗教服で、反近代だから本物の宗教という論調です。後のわしとテリー伊藤との対談でも『麻原はあのわかりやすい身なりだから騙せた』という話になって、『麻原にスーツを着せれば、一発で化けの皮が剥がれる!』と(笑)」
たしかに、この91年の『朝生』が(『朝生』を視るような階層という意味での)知的大衆の間での麻原或いはオウムの好感度を上げる契機になったけれど、それは必ずしも「スーツ」対「宗教服」の対立によるものでもなかっただろう。オウム側では、麻原彰晃が自ら出演したのに対して幸福の科学大川隆法は出演せず、教団の幹部が教義を解説するのに止まった。今考えると、麻原或いはオウムの好感度の上昇というのは、麻原のその場の空気に媚びる能力によっていたのではないかと思う。私が印象に残っているのは、島田裕巳氏の自分は神の実在を信じているとはいえないというような発言に対して、幸福の科学関係者が、物質の存在を信じていない人が物理学者になれないように、神の存在を信じていない人は宗教学を研究できないと述べたのに対して、麻原がそういう立場もありでしょうと発言したこと。また、スタディオの反応としては、「幸福の科学」「バッシング」というよりは冷笑だったような気がする。

オウムが誕生した’80年代中ごろ、日本では旧来の学問と一線を画するポストモダン的な潮流として「ニュー・アカデミズム」が勃興し、思想家・浅田彰の『構造と力』*4中沢新一の『チベットモーツァルト*5現代思想書として異例のベストセラーになった。中沢の処女作『虹の階梯』はオウムの教義のタネ本となり、麻原は「ポア」という言葉を知る。

 さらに当時、人間の潜在能力の無限性を強調し、個人の霊性向上を目指す「ニュー・エイジ」思想が世界的に流行していた。

唐突に名前を出された浅田氏は迷惑なんじゃないかということはともかくして、オウムを語る上で外すことはできないであろう思想的潮流が言及されていない。それは『ムー』や『トワイライト・ゾーン』をコアとする80年代のポップ・オカルティズム。
構造と力―記号論を超えて

構造と力―記号論を超えて

*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060124/1138069211 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061021/1161440194 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070305/1173063168 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070427/1177703588 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080130/1201705768 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090306/1236305383 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090602/1243971742 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091004/1254657572 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110901/1314899481 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120503/1336029509 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130226/1361847535 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131004/1380908298 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140824/1408898286 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150628/1435499672 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160107/1452162478 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180527/1527439653 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180625/1529891466

*2:Mwntioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060418/1145330536 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091122/1258909060 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160923/1474602041

*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110722/1311261926 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140719/1405789987

*4:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070205/1170643322 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080130/1201705768 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080131/1201781124 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080402/1207104053 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080809/1218252114 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110829/1314543718 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20111024/1319430943 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140106/1388966577 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170908/1504843640

*5:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110829/1314543718 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20141027/1414380403