「八千代」と「大和田」

八千代市*1船橋市と同様に隣町ということになるのだけど、実際のところ、よく知らない。その無知というのは船橋市についての無知よりも多分もっと酷いと思う。さて、「八千代」という地名だが、Wikipediaによると、1954年に旧大和田町と睦村が合併し、千葉郡八千代町になった時に、「八千代の名前は公募によって決定した」ということだ*2八千代市のサイトを見ても、「「八千代」の名前は、その時*3公募によって付けられたものです」としか書いていない*4。「八千代」のほかにどんな候補があったのかとかいうことはわからない。そこでは、「「八千代」は、めでたく喜ばしい時に使われ、無限の発展性を秘めているという意味があります」とある。また、一英塾*5「「勝田台」ほか、八千代市の地名の由来いろいろ 当て字・瑞祥地名・新しい地名」という頁では、「永遠の繁栄を祈念し命名された瑞祥地名」だとされている*6
「八千代」という地名には70年余りの歴史しかないわけだが、八千代市の市域には古い地名は沢山ある。例えば、「高津」とか上掲の一英塾の頁で「「おお(美称)・わだ(輪処)」で川の曲流部を指したもの」とされている「大和田」とか。「大和田」は成田街道船橋に次ぐ宿場町で、八千代市の市域においては唯一の町場であったといっていい*7。現在の八千代市には「大和田」「大和田新田」という地名がある。「大和田」が現在の京成・大和田駅周辺のけっこう狭い地域であるのに対して、「大和田新田」*8はかなり広大な面積を占めている*9八千代市観光協会「八千代の歴史遺産散歩」によると、「大和田新田」とは「八千代市の南西部にあって、江戸時代の馬牧「下野牧」との境である「新木戸」から大和田宿までの間の、成田街道沿いに開かれた」エリアである*10


大和田新田は、江戸時代初期の延宝年間(1673~80)頃開拓され、成立したものと考えられます。開拓者は、伊勢から入植したとか、現在の船橋市北東部に当たる神保新田の一族が入植したなどの言い伝えがあります。開拓当時の土地所有者か開拓者の名前でしょうか、貞光寺野、長兵衛野、太郎右衛門野などの小字名が目をひきます。近代から現代にかけて、大消費地を近くにもつ立地の良さと宏大な土地を利用した酪農が盛んな所で、いまもその名残が見られます。
https://www.yachiyo-kankou.com/spot/tansaku/
この「大和田」なのだけど、「大和田新田」どころか八千代市の市域を越えて広がっていた可能性がある。(現在の)船橋市習志野市八千代市に跨る習志野*11は明治以前は「大和田原」と呼ばれていたのだった*12。この「大和田原」と(八千代市の)「大和田」との関係はわからない。
ところで、大和田出身者には(意外な)有名人がいる。放火で有名な八百屋お七
大和田宿の一部であった萱田町の長妙寺という日蓮宗の寺*13にお七の墓がある*14

八百屋お七」の話は、江戸時代の昔から火つけの犯人として、鈴ヶ森の刑場で処刑され今なお一抹の憐れみを誘うものがあります。
お七は現在の八千代市に生まれ、江戸の本郷に店を開いた八百屋徳兵エに養子として迎えられました。器量のよい娘で、その名は日頃願をかけていた当山の七面様から一字をいただきました。

あるときその八百屋が火災に遭い、やむなく本郷の近くの寺、吉祥院に避難して家の再建を待ちました。そのとき、お七は寺小姓の吉三郎という好青年に恋心をいだき、八百屋が再建され店に戻ってもその恋心は募るばかりでした。


そして家が焼ければ再び寺に移れると思いこんだお七は、ついにわが家に火をつけ、それが大火となり江戸八百八町を焼失したともいわれています。

お七は天和三年(1683年)、火つけの罪で火あぶりの極刑に処されました。実母はこれを悲しみ密かにお七の遺髪を受け取り、当山に運び、戒名を妙栄信女と授与され、墓も世を忍び小さな墓石を建て密かに埋葬されました。
https://tenjusan.choumyouji.nichiren-shu.jp/link04/link04.htm

 
まあ、「八百屋お七」の墓といえば、通常現在の文京区白山1丁目にある円乗寺(天台宗)なのだけど*15

*1:https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110522/1306002698 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20130417/1366211836 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20140808/1407425854 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20160228/1456655841 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20160705/1467645114 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20160905/1473082855 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170129/1485703447 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170328/1490674702 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/12/24/020007 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/06/25/100811 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/02/14/005848 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/03/22/085146 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/05/01/143704 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/06/02/084828 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/06/03/080556 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/06/04/023945 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/06/06/094703 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/06/09/072915 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/06/10/225318 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/06/12/091601 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/06/12/091601 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/06/17/083030 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/06/15/011430 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/06/20/074653 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/06/22/083824 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/06/23/160359 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/06/25/003357 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/07/15/140746 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/10/08/011155 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2023/05/13/171951

*2:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%8D%83%E4%BB%A3%E5%B8%82

*3:和田町と睦村の合併のとき。

*4:八千代市企画部企画経営課企画政策班「八千代市の概要」https://www.city.yachiyo.lg.jp/soshiki/2/1014.html

*5:八千代市勝田台にある学習塾であるらしい。

*6:https://katsutadai-study.net/yachiyo-yurai/

*7:See eg. 「大和田宿おおわだしゅく(千葉県八千代市)」https://www.jinriki.info/kaidolist/naritakaido/funabashikaraoowada1/oowadashuku/ 「③大和田宿 おおわだじゅく」http://home.e02.itscom.net/tabi/naritakaidou/3oowadajyuku.html

*8:See eg. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E7%94%B0%E6%96%B0%E7%94%B0

*9:「大和田新田」には丁目がない。

*10:「大和田新田」については、蕨由美「大和田新田の屋号とムラの姿」『史談八千代』 (八千代市郷土歴史研究会)31、pp.23-35、2006(http://sawarabi.a.la9.jp/2006-31yagou.pdf)も参照のこと。

*11:See eg. 船橋市習志野台公民館「習志野原の変遷」https://www.city.funabashi.lg.jp/shisetsu/toshokankominkan/0002/0008/0002/p003697.html

*12:See 太政官下総国大和田原ヲ習志野原ト名ケ練兵場トス」https://www.digital.archives.go.jp/item/1393252.html

*13:See eg. 「長妙寺|河野又右衛門尉栄通開基」https://tesshow.jp/chiba/yachiyo/temple_kayada_chomyo.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%A6%99%E5%AF%BA

*14:See also 2043「大和田地域散歩 ③ 八百屋お七の墓」https://ameblo.jp/honda2043/entry-12583268433.html

*15:See eg. 文京区観光協会八百屋お七の墓」https://b-kanko.jp/spot/258 Alsohttps://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080514/1210735134