聖徳太子/光源氏

大山誠一『聖徳太子と日本人』(角川文庫)

を読んだのは一昨年のこと。
末木文美士『日本宗教史』(岩波新書、2006)に聖徳太子について興味深い見解があったので取り敢えずメモしておく。
末木氏は大山氏を直接参照してはいないものの、聖徳太子の「事績」と伝えられていることどもに関しては懐疑的である(pp.36-37)。しかし、〈信仰対象〉としての聖徳太子に関しては、「『書紀』の段階にはすでに太子は常人を超えた聖人としての役割を与えられて」いたこと(p.37)を重視する。末木氏によれば、聖徳太子の基本的なキャラクターの設定は、「天皇にもっとも近く、天皇になることが可能なはずでありながら、はじめから天皇となることが念頭に置かれていない人物」である。それを踏まえて曰く、

このことは、日本の社会における仏教の位置づけを象徴する。仏教は国家体制のもっとも内奥まで浸透しながら、しかし、仏教の宗教的権威が政治権力とひとつになることはなかった。ちょうどふたつの権威の接点のぎりぎりのところに聖徳太子は位置することになる。天皇のカリスマを最大限背景としながら、しかももう一方では仏教者としての最高の宗教的聖人としての権威を兼ね備え、そこに自由に伝説を付加していくことが可能になったのである(pp.38-39)。
ここで、末木氏は話を『源氏物語』の方に飛ばす;

光源氏もまた、天皇の子であり、将来天皇となることも可能な立場にあったが、臣籍に降り、源氏となった。それによって、天皇のカリスマを受け継ぎながら、しかも天皇には不可能な人生の自由を獲得する。『源氏物語』が不朽の名作として読み継がれてきた秘密のひとつは、このような光源氏の性格付けに成功したからではなかっただろうか。聖徳太子の場合と較べ合わせて興味深いところである(p.39)。
光源氏は最終的には天皇の父として太上天皇になる。一方で、太上天皇儀礼的秩序に関する責任を現職の天皇に押しつけ、主権者(治天の君)として君臨する存在だが、他方ではおほきすめらみことと訓ずるようにメタ天皇としての意味合いもある。
また、水戸黄門のカリスマの問題。尤も水戸藩主が将軍になることは制度上不可能であったが。
日本宗教史 (岩波新書)

日本宗教史 (岩波新書)