永田広志

末木文美士『日本の近代思想を読みなおす2 日本』*1から。
永田広志*2について。


マルクス主義が当時*3の知識人たちの間で広範な影響力を示したのは、労働階級解放への倫理的な共感というに留まらず、その科学主義による人文社会科学の新しい理論構築への注目という点が無視できない。その典型が野呂栄太郎らの『日本資本主義発達史講座』全七巻(一九三二―三三)であり、日本の近代社会がはじめて経済学的な理論によって捉えられ、講座派と労農派との間で大きな論争を呼ぶことになった。マルクス主義理論は、革命に成功して社会主義社会を建設しつつあったソビエト連邦が指導的な地位に立ち、その理論を受け入れて日本に適用するという手順を取った。それは、ちょうど明治期に西洋文明を受容したのとよく似ていて、先進文化を無批判に受け入れる典型的な開明主義の立場を取ることになった。
日本思想史・哲学史の分野で大きな成果を上げたのは、永田広志(一九〇四―四七)である。永田はもともとロシア語を学んで、ソビエト連邦の最新の哲学を翻訳紹介し、唯物論研究会(一九三二―三八)でも中心のメンバーの一人であった。ここには、哲学者の戸坂潤、歴史家の服部之総ら、錚々たるメンバーが集まり、新しい学術の中心となっていた。しかし、弾圧が厳しくなったので、比較的安全な日本思想研究に活路を見出そうとした。『日本哲学史』(一九三七)、『日本封建制イデオロギー』(一九三八)、『日本哲学思想史』(同)と、矢継ぎ早に成果を発表して、日本哲学の全体の流れを捉えようとした。
永田は、近世封建制の下で、安藤昌益、三浦梅園、山片蟠桃らの反封建的で唯物論的傾向を持った思想家の系譜を明らかにするとともに、賀茂真淵にも着目するなど、新しい視点を示した。ただ、全体としては、教条主義的な唯物論の図式に則っていた。(pp.304-305)
なお、この本に収録されているのは、三枝博音*4『日本の思想文化』の抜粋であって(p.361ff.)、永田のテクストが収録されているわけではない。