王敏『日本と中国』

日本と中国―相互誤解の構造 (中公新書)

日本と中国―相互誤解の構造 (中公新書)

王敏『日本と中国――相互誤解の構造』*1を読了したのは先月中旬。


はじめに 日本文化への問いかけ


第一章 漢字と国字――「漢字文化」体験から教えられるもの
第二章 謝罪もマニュアルが必要――「寛容文化」体験から教えられるもの
第三章 「話せばわかる」のか――表現形式から教えられるもの
第四章 言葉にも季節がある――自然体験から教えられるもの
第五章 未完成の課題――日本研究の先駆者に教えられるもの



おわりに 私の視点

日本在住の中国人である著者の体験に基づく日中比較文化論。〈文化本質主義〉という硬い言葉を使ってものだが、(誰でもそうだが)個人の経験は限られている。例えば、日本といっても関西と関東、東北や九州の差異があり、そうした差異に加えて、日本文化は琉球文化、在日朝鮮人文化、華僑文化なども込みにしているわけで、これらをひっくるめた日本文化・社会を語る自信があるという人はそう多くない筈だ(私も自信なし)。中国はさらに広い多民族社会であり、漢族に限っても(例えば)北京人と上海人と広東人では美意識や経済感覚は同じではないわけで*2、さらに大陸のほかに香港や台湾もある。これらを全部ひっくるめて〈中国〉を語るというのはさらに難しいということになる。だから、Daniel A. Bell氏が言うように、”one can say anything about it[China] without getting right”であると同時に”one can say anything about it without getting wrong”だということになる(”Introduction” China's New Confucianism*3, p.xiii)。また、”the longer one stays in the country, the more intimate the grasp of the language, culture, and history, the less confident one feels about judgments and predictions”とも。勿論、ChinaをAmericaやJapanに置き換えても同様なことがいえるだろう。そういうことを考慮に入れれば、〈同じ〉か〈違う〉かは相対化されるというか、決定不能になってくる。勿論、

日本人が「……と感じる」という表現をよく使うのは、日本語を外国語として学習しはじめたときからの疑問であった。英語だと「I think」というところを、知識階層の人々も「そう感じます」と話して、いぶかることはない。原因や結果を考えているのであろうが、日本人は「直感的な」言葉遣いを公の場でも使っている。これはいみじくも「感性でつかむ」という特異な文化の枠組みを共有している日本人を裏付けている。(p.164)
というのは、言われてみればそうだなと思う。また、「中国の手紙にはふつう季節文が見られない」といい(p.146)、魯迅が「季節・気象に関連した言葉」について、中国人向けの手紙と日本人向けの手紙で使い分けを行っている(pp.146-150)と指摘しているのは興味深い。それから、何よりも興味深かったのは、日本に関心を寄せた近代の中国人について(特に後半において)詳しく紹介されていることだ。「生前の賢治と会った唯一の中国文人」(p.135)で、日本で育ち、日本語で詩作した黄瀛(1906-2005)。彼は草野心平高村光太郎の友人でもあった(pp.132-136)。それから、琉球処分後の日清関係緊張の時期に清朝から「仮想敵国視察の命を受けて」日本に派遣され、報告書『談瀛録』を書いた王之春(pp.171-172)。清朝最初の駐日公使であった何如璋(pp.173-174)。その随行員である黄遵憲*4(pp.174-177)。黄と旧高崎藩主・大河内輝声との交流。また、「儒教の価値観から離れて、中国とは別の文化の国として日本を見た」嚆矢である*5(pp.177-178)。孫文の秘書で『日本論』をものした戴季陶(pp.179-182)、等々。
China's New Confucianism: Politics and Everyday Life in a Changing Society

China's New Confucianism: Politics and Everyday Life in a Changing Society

日本論 (1983年) (現代教養文庫〈1076〉)

日本論 (1983年) (現代教養文庫〈1076〉)