荒野泰典『「鎖国」を見直す』

「鎖国」を見直す (岩波現代文庫)

「鎖国」を見直す (岩波現代文庫)

数日前に荒野泰典『「鎖国」を見直す』を読了。


第I部 「鎖国」を見直す
はじめに
1 見直される「鎖国」――現状と問題点
2 「鎖国」という言葉の経歴――誕生・流布・定着の歴史歴意味
3 近世日本の国際関係の実態
4 東アジアのなかで息づく近世日本――「鎖国」論から「国際関係」論へ


第II部 明治維新と「鎖国・開国」言説――なぜ近世日本が「鎖国」と考えられるようになったのか
1 前口上
2 はじめに――「鎖国・開国」言説ということ
3 近世日本の国際関係の実態
4 終わりに――「鎖国・開国」言説の成立と定着


あとがき

荒野氏の主張を乱暴にまとめると、江戸幕府は「鎖国」、つまり国を閉ざしていたのではない。「鎖国」ではなく「海禁」。たしかに人間や物資の自由な出入りは抑圧されていたが、江戸時代、日本は長崎、対馬、薩摩、松前という4つの「口」を通じて、外部へ開かれており、またミニ中華としての幕府はこれら4つの「口」を通じて、「日本型華夷秩序」を構築していた。「鎖国」された日本という像は、最初はヨーロッパ人の自足した小国というユートピア思想の下で構築され、その後、意味が逆転されて、日本の後進性の根拠として使用されるようになった。また、この「鎖国」というヨーロッパ産の概念が日本人によって受容され、「開国」とセットで定着していった背景には、国内的には江戸幕府を否定し、国際的には列強に伍して帝国たらんした明治政府の言説戦略がある。
個人的には、「海禁」の対極としての「倭寇的状況」の記述はわくわくする。そもそも「海禁」というのは「倭寇的状況」を鎮圧するために行われたのだった。
さて、末木文美士『日本思想史』*1では「鎖国」という言葉は括弧つきで用いられている(p.113)。少し書き写しておく;

(前略)実際には清なども貿易統制を行っており、日本だけの突出した問題ではない。また、国を完全に封鎖したわけではなく、海外交流を長崎に集約し一元化して幕府が統制したと見るのが適切とされる。その際、オランダ貿易のみが注目されるが、実際には清との関係がより密接であり、文化的にも影響が大きい。明末の中国からは高僧隠元隆琦が来日し、将軍家綱にも謁見し、宇治に万福寺を創建して黄檗宗を開いた(一六六一)。隠元は単に仏教と言うだけでなく、新しい中国文化の伝来者として美術・喫茶などの文化の諸分野にまで絶大な影響を与えた。鉄眼道光による黄檗版(鉄眼版)大蔵経の出版(一六七八完成)はとりわけ影響が大きかった。また、通信使による朝鮮との交流も、津島の宗氏を媒介に江戸期を通して行われた。(pp.113-114)
荒野的には、まだまだ不十分ということになるのか?
日本思想史 (岩波新書)

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