言葉/コトバ、或いは「見る」こと(原民喜)

生きる哲学 (文春新書)

生きる哲学 (文春新書)

若松英輔『生きる哲学』*1第3章「祈る 原民喜の心願」では、「原爆投下の翌日から始められ、およそ二週間にわたって書き続けられた」(p.59)「原爆被災時ノート」という原民喜の手記から、「水ヲノム 石段下ノ涼シキトコロニ 一人イコフ 我ハ奇蹟的ニ無傷ナリシモ コハ今後生キノビテコノ有様ヲツタヘヨト天ノ命ナランカ サレハ仕事ハ多カルベシ」という一節が引用されている(p.60)。そして、曰く、


言葉は原にとって、何かを表現するものであるより、表現することができない何ものかの周辺を縁取るものだった。見える言葉の力を借りて、見えない意味を現出させることが彼の使命だった。彼にとって文学とは、言葉になり得ないものを、コトバに刻むことだったのである。コトバとは、存在の深みにあって、そこから何が生まれるか容易にうかがい知れない、塊となった根のような何ものかである。(pp.61-62)
短篇「夏の花」からの引用;

「おじさん」と鋭い哀切な声で私は呼びとめられていた。見ればそこの川の中には、裸体の少年がすっぽり頭まで水に漬かって死んでいたが、その屍体と半間も隔たらない石段のところに、二人の女が蹲っていた。その顔は約一倍半も膨張し、醜く歪み、焦げた乱髪が女であるしるしを残している。これは一目見て、憐愍よりもまず、身の毛のhあ、よだつ姿であった。が、その女達は、私の立留ったのを見ると、
「あの樹のところにある蒲団は私のですからここへ持って来て下さいませんか」と哀願するのであった。
見ると、樹のところには、なるほど蒲団らしいものはあった。だが、その上にはやはり瀕死の重傷者が臥していて、既にどうにもならないのであった。(cited in p.62)
原民喜にとっては、「祈る」とともに、或いはそれ以上に、「見る」という動詞が重要であるようだ。

ここに書かれているように、状況は「既にどうにもならない」。一人を助けることはもう一人を放置することになる。苦しむ誰かに寄り添うことは、苦痛を訴える誰かから目をそらすことになる。そればかりか、人の痛みを和らげるために何の術も物も持っていない者に一体何ができようか。だが、原は見る。陰惨な出来事からけっして目をそらさない。
古事記』が書かれた、古の日本で、「見る」とは、単に対象物を目撃することではなく、その存在の深みにふれることだった。「見る」ことは、ただ相手の姿を眺めることではなく、その魂にふれることを意味した。「国見」とは、国の風景を見ることではなく、その場所の地霊と交わることだった。原は、自己の魂が耐えられないほどの苛烈さで、苦しむ人々を見た。このとき、人間にとって、「見る」とは、すでに高次な無私の営みとなる。(pp.62-63)
「見てしまった」ことの「不幸」或いは「責任」は末木文美士氏『仏教vs.倫理』(esp. p.100ff.)*2 も参照されたい。
仏教vs.倫理 (ちくま新書)

仏教vs.倫理 (ちくま新書)