松岡正剛『白川静』

白川静 漢字の世界観 (平凡社新書)

白川静 漢字の世界観 (平凡社新書)

松岡正剛白川静 漢字の世界観』(平凡社新書、2008)を読了したのは先週のこと。


第一章 文字が世界を憶えている
第二章 呪能をもつ漢字
第三章 古代中国を呼吸する
第四章 古代歌謡と興の方法
第五章 巫祝王のための民俗学
第六章 狂字から遊字におよぶ
第七章 漢字という国語


本書で使用した白川静の文献一覧
白川静略年譜


あとがき――豆腐とニガリ

白川静先生*1の学説を、そのバイオグラフィを取り混ぜながら概説する本。「白川静への初の入門書!」(帯)を謳う。
先ず第一章では、白川先生が1970年に刊行した「最初の一般向けの著書」(p.12)である『漢字』(岩波新書)の衝撃が語られる。松岡氏が『漢字』冒頭近くの「もしこの文字の背景に、文字以前の、はかり知れぬ悠遠なことばの時代の記憶が残されているとすれば、漢字の体系は、この文化圏における人類の歩みを貫いて、その歴史を如実に示す地層の断面であるといえよう」というセンテンスを含む一節を引用しながら、

(前略)要約すれば、「漢字には文字が生まれる以前の悠遠なことばの時代の記憶がある」というふうになります。
漢字が言葉の意味をあらわしていると言っているのではなく、文字は言葉を記憶しているのだ、文字しか言葉を記憶しているものはない、漢字はそれを体現しているのだと、そう白川さんは強調しているのです。
この見方には、白川文字観の根本的な見方があらわれています。漢字は甲骨文にはじまったものであるけれど、それを含めてそこには、文字以前の言葉の動向のすべてがあらわれているはずだ。もっというのなら、人間が求めた構想や祈念や欲望や憎悪などすべての動向があらわれているはずだというのです。
しかも加えて、エジプトのヒエログリフメソポタミア楔形文字などの古代文字の多くが廃れたか、その後に使用不能のものになっているのにくらべて、漢字は古代のそうした動向をいまもってよみがえらせて、なお今日に脈々と生きつづけている。その文字はすこぶる表意に富んでいる。そうだとするなら、この漢字をもってしか、もはやわれわれの東洋的原初の構想や祈念や欲望や憎悪をふりかえることはできないのではないか。そのように白川さんは見通したのでした。
いわば漢字は、今日のわれわれが失ったかもしれない多くの記憶をよみがえらせる「時空の方舟」だろうと言っているわけです。漢字はまさに四角い方形の姿をした「意味の舟」たちなのです。その一字一字が古代の呼吸であり、古代の観念であり、古代の一挙手一投足なのです。(pp.17-18)
と述べているのにはふむふむと頷いたが、それよりも松岡氏が紹介している『漢字』に対する白南準*2杉浦康平河原温*3といったアーティストやデザイナーの反応が興味深かった(pp.12-15)。
漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)

漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)

第二章では白川学の鍵言葉のひとつである「呪能」が採り上げられる。曰く、

たんに文字の成り立ちを説明したのではありません。言葉がその原初の発生現場において「声」「身ぶり」「文字」「記号」「意味」「世界」というふうにオラルにおいてもリテラルにおいても成長をとげ、だんだん領域を広げて、ついにさまざまな世界観との究極の連携をもちあったということを、さかのぼりながら証明しようとしたのです。
このとき、白川さんは文字がもつ本来の「力」というものを想定しました。そして、それを「呪能」とよびました。文字には呪能があり、その呪能によって文字がつくられたと想定したのです。(略)
呪能とは、人間が文字にこめた原初のはたらきのことです。
たいそう類感性に富んだはたらきです。また、その文字が実際にもたらす意味の効能や作用のことです。文字呪能ともいいます。呪能とはいえ、呪うとはかぎらない。祝うこと、念じること、どこかへ行くこと、何かを探すこと、出来事がおこるだろうということ、それらを文字が文字の力において文字自身ではたそうとしているのが、文字呪能です。(後略)(pp.37-38)
或いは、白川先生自身の言葉で言えば、「文字は、ことばの呪能をそこに定着するものであり、書かれた文字は呪能をもつものとされた」(『漢字百話』。P.38に引用)。「言霊」*4を表す意味符「サイ」についての論を紹介して(p.48ff.)、「サイ」を「言語文字力の呪能の基体をあらわす核心的なるもの」(p.54)としての「漢字マザーのなかでも特筆すべきもの、まさにグレート・マザーのような太母力を秘めた漢字マザー」(p.55)と呼んでいる。そして、「サイ」についての論を踏まえて、

文字のひとつずつを解明するだけでなく、文字がそのような形と音という根拠をもたざるをえなかった古代社会の祈りや恐怖や欲望や期待を解明すること、文字それぞれがことごとく不即不離になっているのです。その連携的な解読の中核に漢字マザーの発見がいくつもあったのです。そこが白川学のすごいところであり、私が一九七〇年の『漢字』に衝撃を受けたところでした。
それは、必ずしも漢字の一点一画もおろそかにしないということではありません。それも漢字教育上は大事なことですが、それだけではなくて、さまざまな文字のアソシエーション(連携、連想)を通して「世界の普遍化」と「世界の特殊化」とが連動して解読できるんだという、その場で大声をあげたくなるほどの感動的な衝撃だったのです。(p.58)
と語られる。
漢字百話 (中公新書 (500))

漢字百話 (中公新書 (500))

第三章では、『中国の神話』、『中国古代の文化』、『中国古代の民俗』に依拠して、白川先生の中国神話論が語られる。取り敢えず、この章の書き出しの

古代は神話とともにはじまっています。神話はたいてい変事によって織りなされます。その変事は王の周辺の出来事として記録されていきます。
古代中国ではその記録の方法が甲骨文・金文の早期出現でいちじるしく発達していたために、周辺アジア諸国とはまったく異なる様相を呈しました。神話がさきにあって文字が派生したのではないのです。白川さんは「中国では文字が神話をつくった」と書いています。
これは、中国では神話が歴史として体系化されることがなかったということと、おおいに関係があります。
(p.70)という部分を示しておく。
中国の神話 (中公文庫BIBLIO)

中国の神話 (中公文庫BIBLIO)

中国古代の文化 (講談社学術文庫)

中国古代の文化 (講談社学術文庫)

中国古代の民俗 (講談社学術文庫)

中国古代の民俗 (講談社学術文庫)

第四章では、やはり白川学の鍵言葉である「興」が紹介される。曰く、

詩歌や歌謡では、謡ってみようと感じた「そのこと」「そのおもい」を詠むために、まず歌い手や詠み手が何かを思いおこすことがおこります。このとき先行するイメージや言葉の動きの初動が「興」というものです。(p.121)
「興」は白川先生にとって、中国と日本を繋ぐものであり、その万葉集読解の基礎ともなっている――「この「興」という発想手段こそが日中両国の古代に共通しているのではないか。白川さんは早くからそこに着目していたのです」(ibid.)。また、「興」は「詩歌」が(古代にとっての古代の)呪術的な世界観・社会が衰え或いは亡んだという前提の下に存立していることも示している。第五章に曰く、「興的方法は失われた世界観にひそむなにがしかの部分の律動を、メタフォリカルに取り出し、記憶再生を試みる手法だったということです」(p.148)。第五章で扱われるのは、『初期万葉論』と『後期万葉論』に代表される万葉論。或いは(第四章の言葉を使えば)「『詩経』と『万葉集』を同時に読む」こと(p.120)。『詩経』と『万葉集』は「古代社会が崩壊した過程を共有していた」(p.173)。その「崩壊」の「過程」は中国(『詩経』)の場合は500〜1000年の時間を経た相対的に緩慢なものだったが(p.148)、日本(『万葉集』)の場合は急速だった;

(前略)このような古代社会期の表現方法が解体していくプロセスがきわめて速かった。そのプロセスが『万葉集』に収録されているのです。天武天皇の時代をピークに表現された万葉的世界観とその表出法は、その語彙、その光景を含めて、長く見積もってもせいぜい一〇〇年ほどのあいだに、そのプロセスを隠すことなく変質をとげていったのです。そのうえ、『万葉集』では枕詞や序詞や縁語が発達し、その興的編集術だけはその後も継承されていたのです。それが『古今』や『新古今』です。(p.149)
また、

中国の古代社会は殷や周の世によって絶対王と巫祝王の時代を迎え、甲骨文と金文によって、その世界観を示しました。その基本にあるのが卜辞です。
しかしながらその時代は必ずしも長くはありませんでした。春秋戦国時代がやってくると、古代社会は地域ごとに分断され、かつての日々は記憶と伝承の対象世界に変じていきます。「かつて周に英明な王がいた」というふうな伝えかたや想起の仕方に変わってゆくのです。
それは日本においてはフルコトの伝承があやしくなって、奈良末期から平安初期にかけて中臣氏や忌部氏や高橋氏が、自身らが伝承してきた神謡や祝詞などのフルコトがちゃんと伝わっていないというクレームをつけるという事態にまでなるのですが、そのことと似ています。それが古代中国ではもっと長きにわたる数百年もの期間をもって、あたかも巨鯨がのたうつかのように、ゆっくりと、うねるように衰微していったのです。
フルコトとは、古言であって、古事です。
その古言と古事を物語化したのが日本では『古事記』であり、その周辺の歌謡を集大成したのが『万葉集』です。けれども日本でも、そこに綴られた出来事や意味が正確に継承できていたのは、わずかな時期だったのです。藤原氏が大伴氏を駆逐してしまってからは、伝承はかなり困難になったはずです。それこそが大伴家持の悲劇であり、また『万葉集』編集の謎であったわけです。
日本で古伝の様式がはっきりと見えていたのは、おそらく天武朝から嵯峨朝くらいまでのことでしょう。ただ日本では、万葉仮名や枕詞や序詞や縁語といった独特な言語民俗観念をめぐる編集方法があったため、古代中国との事情とはさまざまに異なる「日本という方法」が残存したのです。
けれども、大きくは、こうして古代社会の精髄はしだいに見えにくくなっていったのでした。それが白川さんのいう「この二つの古代歌謡集にみられる本質的ともいうべき類同のうちには、おそらくこのような古代的氏族社会の崩壊という、社会史的な事実に基づくものがあろう」という判断でした。『詩経』と『万葉集』が類同しているのは、二つともに古代社会が崩壊した過程を共有していたからだというのです。(pp.171-173)
それから、『初期万葉論』「あとがき」における「中公新書の一冊として書いた『詩経』は、いわば中国文学の立場からみた『万葉』についての、私の素描を試みたものであった」という一文(p.145に引用)。
初期万葉論 (中公文庫BIBLIO)

初期万葉論 (中公文庫BIBLIO)

後期万葉論 (中公文庫BIBLIO)

後期万葉論 (中公文庫BIBLIO)

詩経―中国の古代歌謡 (中公新書 (220))

詩経―中国の古代歌謡 (中公新書 (220))

第六章では先ず『孔子伝』が紹介され(pp.180-187)、「狂字論」、「真字論」、「遊字論」、「道辞論」が言及され、「「遊」「道」「真」「狂」の四字があたかも四神や四風のように共鳴しあっているのです」(p.191)と述べられる。そして、

(前略)「遊」「道」「真」「狂」という、はなはだ重要そうな四字でさえ、そのマスタープログラムのいずれの文字とも連動しあうのであって、必ずしも漢字体系の上位にランクされるというものではないのです。だからこそ、白川さんはあのような巨脈な「字書」の執筆編集構成に、ひとしく力を注げたともいうべきなのです。(pp.191-192)
として、『字統』『字訓』『字通』の「字書」三部作が言及される(p.197ff.)。
孔子伝 (中公文庫)

孔子伝 (中公文庫)

文字遊心 (平凡社ライブラリー)

文字遊心 (平凡社ライブラリー)

文字逍遥 (平凡社ライブラリー)

文字逍遥 (平凡社ライブラリー)

第七章で語られるのは日本語における漢字について。

白川さんは『初期万葉論』のなかで、日本の和歌が漢字仮名まじりに書かれていったことについて、「言語思惟的で、同時に文字表現的だった」と解説しています。日本人は自分たちの言葉づかいを捨てずに漢字の使用法を工夫し、その漢字の使い勝手を工夫しきっていくことで、日本語の言葉による表現力をさらに高めることに成功したのです。
白川さんは、ここに日本の言語文化の基本を見たのです。日本の国語文化がもつ原点を見たのです。
まとめていえば、日本は「歌」によって国語をつくったのでした。そう、断言してもいいとおもいます。いやいや、国語だけではないともいいたい。今日、伝統文化とか和風文化とよばれている多くの日本文化の特質の大半が、ここから派生したというべきでしょう。(後略)(p.238)
ただ、「デュアル・スタンダード」としての「和漢混淆」という表現(pp.232-235)は白川的というよりは松岡的?
それから、長い間白川静先生の研究を支えた「樸社」という組織についての記述は興味深かった(p,115)。

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060120/1137745397 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060131/1138686837 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060224/1140794823 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060406/1144298674 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061101/1162391208 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061106/1162752516 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061107/1162862295 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070317/1174104444 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070423/1177342239 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070918/1190118272 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080622/1214152497 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090701/1246456156 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090922/1253594813 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091201/1259695353 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100113/1263357673 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100510/1273476421

*2:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060131/1138678576 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060430/1146379093 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060523/1148355692 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060724/1153738652 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061011/1160577602 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091001/1254409252 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091230/1262140525

*3:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080526/1211741542 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100521/1274458717

*4:言霊については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071025/1193332927 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090921/1253535876 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100223/1266896359 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100226/1267115264も参照されたい。