嘘つきではなく

菊地章太『儒教・仏教・道教*1から。
シンクレティズム」(syncretism)について。


シンクレティズムの語源は「クレタ島の人」である。
エーゲ海に浮かぶクレタ島。現在はギリシアに属しているが、アジア、アフリカ、ヨーロッパのどこからも手がとどく場所にあるため、古代からさまざまな民族によって、とったりとられたりをくりかえしてきた。強大な敵にそなえるためには、いがみあう勢力でも手をにぎりあうしかない。しばしばごたまぜ混成クレタ同盟を結成した歴史がある。
すぐにまざりたがるやつら――これがシンクレティズムの大元の意味である。その背景をかえりみればやむを得ないことではあるが、やはり肯定的な言葉ではない。(p.10)
Wikipediaに曰く、

17世紀初頭、現代ラテン語(en:New Latin)の「syncretismus」が直接の語源である。さらにこの現代ラテン語の語源はギリシア語の「sunkrētismos」であり、これは「sunkrētizein」から派生した語であり、「sunkrētizein」の意味は「第三者との団結」である(sun + krēsという構成の語であり「sun」は「一緒に」という意味で、krēsは、もともとは古代クレタ共同体を指していた。

オックスフォード英語辞典は、「英語におけるsyncretism の初出」に関しては、1618年としている。

プルタルコスの著書『倫理論集』の「友愛」についてのエッセーに出てくる「クレタ人の同盟」を意味するギリシア語 συγκρητισμός (シュンクレーティスモス)を典拠としている。プルタルコスは、クレタ人たちが外部の脅威に直面した時に互いの相違点を捨てて歩み寄り同盟を結んだ、という例を引き合いに出して「これすなわち、かれらの謂わゆるシュンクレーティスモス(クレタ人の同盟)である」と述べた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0

英語版;

The English word is first attested in the early 17th century, from Modern Latin syncretismus, drawing on Greek Ancient Greek: συγκρητισμός, romanized: synkretismos, supposedly meaning "Cretan federation", but this is a spurious etymology from the naive idea in Plutarch's 1st-century AD essay on "Fraternal Love (Peri Philadelphias)" in his collection Moralia. He cites the example of the Cretans, who compromised and reconciled their differences and came together in alliance when faced with external dangers. "And that is their so-called Syncretism [Union of Cretans]". More likely as an etymology is sun- ("with") plus kerannumi ("mix") and its related noun, "krasis," "mixture."

Erasmus probably coined the modern usage of the Latin word in his Adagia ("Adages"), published in the winter of 1517–1518, to designate the coherence of dissenters in spite of their differences in theological opinions. In a letter to Melanchthon of April 22, 1519, Erasmus specifically adduced the Cretans of Plutarch as an example of his adage "Concord is a mighty rampart".
https://en.wikipedia.org/wiki/Syncretism

クレタ島」というと、どうしてもあの、嘘つきを巡る自己言及パラドクス*2を思い出してしまう。「シンクレティズム」は取り敢えずこのパラドクスとは無関係といえるか。いや、関係ある?
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ヨーロッパの歴史を語るとき、この言葉がひときわ多く用いられるのは古代末期である。アレクサンダー大王の東方遠征のあと、古代地中海世界にオリエント文化がなだれこんできた。えたいの知れない宗教が乱立し、対立し、融合をくりひろげた時代である。やがてユダヤ教に反逆したキリスト教がそこに加わって、くんずほぐれつしたあげくローマ帝国の国教になっていく。
そこにいたるまでの諸宗教のシンクレティズムにはすさまじいものがあった。あがきのはての断末魔であった。それは同時に新しい時代へ向かう産みの苦しみでもあるのだが、どちらかといえば末期症状として捉えられている。(pp.10-11)

シンクレティズムとは宗教の「なれの果て」なのか?
どんな宗教もみずからの純粋を主張する。しかし現実には、外部からなんの影響もこうむっていない宗教など(きわめて古い時代は別として)はたしてあるのだろうか。シンクレティックでない宗教というのが世のなかに存在するのか。……もっと進めて言いたい。
シンクレティズムこそ宗教の現実の姿ではないか。(p.11)