「もたらされた」ものとしての文字(メモ)

生きる哲学 (文春新書)

生きる哲学 (文春新書)

若松英輔『生きる哲学』*1第4章「喪う 『論語』の哀しみ」から。
若松氏は白川静孔子伝』*2に触れて、「白川にとって「読む」とは、言葉を扉にそれを書いた者と出会うことだった」(p.89)、白川「にとって『論語』を読むとは孔子の声を魂で聴くことだった」(p.90)と述べる。そして、


孔子伝』を読むとき、私たちがまず問うべきは、白川がどう読んだかだけでなく、なぜ、読めたか、である。いかなる通路を介して、彼は異界に生きる孔子の姿を生々しいまでに見得たか、である。
(略)白川にとって文字が扉であり、道だった。彼にとって文字は、単に意思疎通のために用いられる記号ではなかった。文字の誕生にふれ、白川は次のように書いている。

文字は、神話と歴史との接点に立つ。文字は神話を背景とし、神話を承けついで、これを歴史の世界に定着させてゆくという役割をになうものであった。したがって、原始の文字は、神のことばであり、神とともにあることばを、形態化し、現在化するために生まれたのである。もし聖書の文をさらにつづけるとすれば、「次に文字があった。文字は神とともにあり、文字は神であった」ということができよう。文字はもと神と交渉し、神をあらわすためのものであった。(『漢字』)
文字によってはじめて天意は世界に「定着」すると白川はいう。さらに、文字がなければ、どうやって「ことば」が世界に定着することができようか、と彼は逆に読者に問いかける。文字によって神意は形を帯び、「現在化」する。「現在」とは過去、未来と対比される流れる時間の尺度ではない。「現在」は過ぎ去らない。むしろ深みへと垂直に降下して、過ぎ行かない「時」と結びつく。
先の一節に「聖書の文」とあるのは「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった」と記された新約聖書ヨハネ福音書」の冒頭の一節である。聖書に述べられているように、万物は「ことば」と共に生まれた。だが、「ことば」は同時に文字を産んだと白川はいうのである。
文字には、理性では容易に説明できない人間の感情が刻まれている。むしろ、文字はそれを世界に刻むために見出された。文字は、人間の天への訴えであり、また、天からの言葉を受容し、それを残し、伝えるために作られた。作られた、というよりも、もたらされた、と書く方が文字の起源には近いのかもしれない。
古代の人々にとって文字は、「ことば」と同様、与えられたものだった。「ことば」を受けるものは巫覡と呼ばれた。「ことば」の通路となることが巫者に託された役割だった。彼らの使命は人間に「事える」ことだった。わが身を投じて万人にむかって君子の道を切り拓くことだった。彼らに「ことば」を託すものを儒学では「鬼神」という。(pp.90-92)
孔子伝 (中公文庫)

孔子伝 (中公文庫)

論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)

漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)

漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)

孔子の「未能事人。焉能事鬼」「未知生。焉知死」*3を巡って;

「鬼神」などいない、孔子はそんなことは言わなかった。彼は人間には人間の仕事がある、と言ったのである。孔子が言うとおり、あらゆる生者は死を知らない。だが、死者はどうだろう。人間の仕事とは、真実の意味で隣の人間と向き合うことである。ここでの「人間」には、生きている隣人だけでなく、「生きている」死者もふくまれる。
愛する者を喪い、私たちが悲しむのは、単なる抑えがたい感情の発露ではないだろう。悲しみは、それを受け取る者がいるときに生じる一つの秘儀である。
師が哭く姿を、もっとも近くで見ていたのは、不可視な隣人となった顔淵だった。そのことを孔子は知っている。だからこそ、彼は「哭して慟す」のである*4。このときすでに悲しみは、悲惨な出来事であるよりも、出会えたことの意味を照らす一条の光となっている。(pp.92-93)