水俣狐

石牟礼道子*1「会社運動会」in 『魂の秘境から』、pp.19-24


曰く、


大廻り塘という河口の海岸は、塩浜と呼ばれる葭や葦や茅草が茂った原っぱで、その一隅にわたしの家の畑があった。
そこはしばしば高潮に浸かり、土に潮気が多く穀物は育ちにくいので、豚の餌にする唐芋を作っていた。
塘の斜面の石垣はわたしの幼いころからの遊び場で、ふだんはめったに人影もなく、ガゴたちの棲み家と思われていた。ガゴとはこのあたりに棲む化物たちの総称で、なかでも天草から来たというおせん女狐が親分だと言われていた。夜中に酔っ払ってこの海岸を通る男たちは、美しい女に化けたおせん女にたぶらかされるのだそうだ。そういうところへ、よくも独りでかよったものだ。幼な心に、狐になりたい一心だったのである。(pp.19-20)
このエッセイの話の中心は、タイトルにもあるように、チッソの「運動会」。「塩浜では、年に一回、チッソ会社の運動会が行われた」(p.20)。やがて、

チッソ工場はどべどべの廃棄物を水俣川河口に流し始め、やがて塩浜は廃棄物に埋もれた八幡プールと呼ばれるようになった。工場排水で埋め立てられた八幡プールの最初の表情は『苦海浄土』初版の表紙に使わせていただいた。桑原史成氏の撮影である。(p.23)
また、

チッソの裏山を地元の人はしゅりがみ山と呼んでいた。後年そこにいた狐が山をハッパで崩されて住み場所を失い、一族そろって天草に帰るのに、地元の漁師に頼みごとをしに来たという話が残っている。「いまは渡し賃もありまっせんが、天草に帰って働いてお返ししますので、なんとか船にのせて連れて帰っては下さいませんでしょうか」と頼まれた漁師もいた。もちろん渡してやったが、なかには、木の葉ではない本物のお金を持ってきた狐もいたそうだ。(pp.23-24)
「ガゴ」、天草から狐の話は、「海底の道」*2にも出てくる。