何時から?

非リベラル或いは反リベラル的な体制を「権威主義的(authoritarian)」*1と呼ぶのは、いまや自然のこととなっている。ところで、「権威主義」という言葉が使われ始めたのは何時頃からなのだろうか。
私の(出典などを忘れてしまった)朧げな記憶では、それは冷戦期に遡る。当時、〈西側〉は蘇聯や中国といった〈東側〉の社会主義スターリン主義)諸国を(正しく)〈独裁〉として非難していた。しかし、独裁という非難は〈東側〉と対峙していると〈西側〉が擁護していた、(例えば)台湾や韓国などの〈右〉の独裁政権に自然と降りかかってくる。そこで、これらの国を独裁という人聞きの悪い言葉ではなく「権威主義」という少しは口当たりのいい言葉で呼ぶようになった。この記憶は正しいのか、自分でも分らないのだ。それから、「開発独裁」という言葉も使われていた。
権威主義」というのは非リベラル或いは反リベラルを指しているにすぎない。だから、(例えば)金一族の私有財産としての北朝鮮も、レーニンスターリン主義的な党=国家であるヴェトナムや中国も、露西亜ハンガリーも、「権威主義」体制として一括りにしてしまうのも、政治的レッテルとしての有効性は別かも知れないが、少し雑なのではないか。
また、露西亜ハンガリーの例を見て思うのは、所謂「権威主義」的国家とまっとうな国家との境界線の曖昧さである。露西亜にしてもハンガリーにしても(或いは印度にしても)憲法普通選挙を備えた普通の国家である。プーチンやオルバンはその普通の国家のヴァルネラビリティにつけこみハッキングすることによって、その「権威主義」体制を確立したわけだ。何が言いたいのかと言えば、普通の国家でも「権威主義」化する可能性はあるし、いまだ「権威主義」化していない国の場合、「権威主義」を阻止するメカニズムがある筈だし、ヴァルネラビリティをフィックスする方法もある筈だということだ。私たちは近い過去に〈自由〉な社会が崩れていくのを香港で目撃しているし、トランプの米国が急速に「権威主義」化しているのを現在進行形的に目の当たりにしている。