- 作者: 唐亮
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2012/06/21
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唐亮『現代中国の政治』から。
さて、李澤厚老師の「説儒法互用」(in 『歴史本体論・己卯五説(増訂本)』*3)によると、中国思想、特に法家において、「法」というのは「刑」と密接に結びついており、「刑」は元々は「礼制」の一部であり、その中でも「暴力的」なものを指した。また「法」は「大夫」以上の貴族に適用されることはなかった。高貴な人は、自らの罪に関しては自発的に自殺することが期待されていた(pp.192-193)。つまり、古代中国において、「法」というのは権力の制限ではなく権力維持のために低い身分の者どもを痛めつけるための装置だったわけだ。
法治を語る際に、法の支配(rule of law)*1と法治主義(rule by law)*2の二つの原理を区別することが重要である。法の支配は国民の権利と自由の保障を目的とし、以下の四つのことを普遍的な原理とする。第一は、憲法の最高法規性の概念である。第二は、権力によって侵されない個人の人権保護である。第三は、法の内容・手続きの公正を要求する適正手続きの保障である。第四は、権力の恣意的な行使を抑制する裁判所の役割に対する尊重である(芦部信喜『憲法』第五版)。
他方、法治主義は、手続きとして正統に成立した法律であれば、それが人権保護と合致するか否かという内容の適性を問わない。したがって、法治主義は、法律によって権力を制限するという点で「法の支配」と共通するが、民主主義と結びついて発展した「法の支配」の原理と異なり、権威主義体制とも結びつき得る原理である。現段階では、中国政府は人権保障や憲政を前提とする法の支配より、法治主義を目指しているといえる。(pp.79-80)
ところで、「刑」というのは「形」と発音が同じである。古代中国ということを超えて、もっと一般的な問題、本源的なカオス(渾沌)に形式を与えて秩序ある世界を出現させるための暴力ということを想起させる。また、古代中国には、この問題を思考していた哲人もいた。『荘子』「応帝王篇」における「渾沌」殺しの七日間の話*4。
- 作者: 荘子,金谷治
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1971/10
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*1:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050904 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060206/1139243584 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100416/1271390292 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100712/1278955631 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131206/1386264463 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160623/1466683018
*2:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100802/1280726806
*3:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070126/1169783285
*4:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110609/1307650973