塩川伸明『社会主義とは何だったか』

社会主義とは何だったか

社会主義とは何だったか

実家に置いてあった塩川伸明社会主義とは何だったか』(勁草書房、1994)を読む。


まえがき


第一部 視点と姿勢
第一部へのはしがき
I 社会主義−−私的総括
II 日本における(旧)ソ連・東欧研究の反省
付論 東欧の激動に思う


第二部 社会主義改革論の挫折
第二部へのはしがき
III ペレストロイカの転機と社会主義改革論の再考
IV 社会主義の運命
V 社会主義改革論の挫折−−経済学者への問いかけ−−


第三部 社会科学と主体
第三部へのはしがき
VI 社会と主体−−ある討論の記録−−
VII 社会科学と思想
VIII 転向論再考


あとがき
人名索引

本書は蘇聯が崩壊し、蘇聯及び旧東欧社会を粗野な資本主義覆い尽くし、その反動として旧体制派が勢力を盛り返し、右翼的ナショナリズムが擡頭するという状況、つまり冷戦崩壊の多幸症が消えてゆくという状況*1で書かれた、「「純学術的」論文でもなければ時事解説的論文でもない、思想的総括ともいうべき模索の跡を示す文章」(「あとがき」、p.268)、「専門研究を進める中でぶつかった、より大きな問題に取り組んだ、いわば思想的な探求・模索の記録」(「まえがき」、p.v)である。本書には、「社会主義」論だけではなく、著者自身の知的バイオグラフィへの反省的言及、「(旧)ソ連・東欧研究」というディシプリン自体の存立を巡る反省、さらには(より社会科学基礎論的な)社会科学と「思想性」の問題への論及も含まれる。
著者は「まえがき」の中の註において、「世界中にはまだ社会主義国がいくつか存在してはいるが、それはただ単に、ともかくも生き残っているというに過ぎず、人類の未来を照らしだす希望に満ちた存在としての社会主義は明確な過去のものとなった」(p.ii)と、先ず「社会主義」への希望を断ち切ってしまう。本文中でも、「社会主義」への未練論(負け惜しみ論?)は容赦なく論駁されている。しかしながら、その逆の、当時流行であった資本主義(自由主義マンセー論にも冷ややかなスタンスを取る−−「「社会主義の敗北、自由主義の勝利」という大合唱は、単一の価値観に全世界が染まることを要求する動きが強まったという意味で、まさしく自由主義の危機なのではないかとさえ思われた」(「社会主義」、p.35)。
著者が苦渋を伴いつつ選択したのは、「ユートピア」なき思想というスタンスだといえる。真木悠介(『人間解放の理論のために』、『気流の鳴る音』)の用語法で言えば、「コミューン」を退け、「最適社会」を選択するということ(p.23)。曰く、

社会主義の失敗は明らかであり、それに比べれば、確かに市場や西欧型民主主義の方が相対的優位を主張できるだろう。しかし、そのことと、それらを物神化し、教条化することととは別である。社会主義破産の最大の教訓は、この世に完全無欠で無矛盾のユートピアをつくることはできないということだったはずである。だとしたら、資本主義経済も、西欧型民主政治も、完全無欠のユートピアをつくるわけでないことは自明でなければならない。ところが、この自明のことが忘れられ、従来とは逆のイデオロギー金科玉条視され、教条化される傾向があるのではなかろうか。
これは、本来的意味でのリベラリズムの神髄を曲げるものであり、実質に即して考えるならば、自由主義とは無縁な態度のはずである。「リベラリズムの仮面をまとった似而非リベラリズム」とでもいうことができるかもしれない。昔からリベラリズムの伝統の弱かった日本やロシアでは、こうした似而非リベラリズムが流行する危険性は特に大きい。ひと昔前とはうってかわって、今では、マルクス主義社会主義よりもむしろこちらの方が大流行である以上、そのことに対する警戒を怠ってはならないと思う。(「日本における(旧)ソ連・東欧研究の反省」、pp.62-63)
著者の反「ユートピア」主義が露西亜や東欧の現実によって裏切られつつあることを著者が自覚していることが、本書のトーンをよりヘヴィなものにしている。

(前略)私がペレストロイカ期に体制転覆論よりも漸進的な体制転換論に共鳴してきたのは、「社会主義」を保存すべきだという価値観からではなく、戦術レヴェルで、より犠牲の少ない道として中道主義・漸進路線をとるべきだという発想によっていた。しかし、中道路線は、政治的分極化の著しい激動期には孤立せざるを得ず、敗北を喫せざるをえなかった。「カタストロフィーなき根本的改革」としてのペレストロイカは挫折し、カタストロフィーが到来したのである。その結果、カオス、アナキー化、権威主義願望、粗野な資本主義化が生じているというのが今日のロシアの現実である。
このような状況を特徴づけて、しばしば「逆方向のボリシェヴィズム」という言葉が使われる。社会主義建設か破壊かという点で歴史上のボリシェヴィズムと逆方向だが、急激な全否定・破壊は一九一七年のボリシェヴィキの愚を繰り返すことになるのではないかという意味である。いわゆる「急進改革派」がこういう意味での「逆ボリシェヴィズム」に陥っているのではないかという懸念は、八月政変の前夜からソ連であらわれていた。しかし、結局は、そうした警告は聞き入れられず、急進派の勝利、「逆ボリシェヴィキ」実験の開始ということになった。(後略)
(前略)ペレストロイカ末期に多くの欧米や日本の観察者・政治家・ジャーナリスト・ソ連研究者が、急進改革論こそが唯一絶対に正しい道であると断言し、「逆ボリシェヴィズム」をあおりたてたことを思い出さねばならないように思われる。「逆ボリシェヴィズム」の勝利、その結果としてのソ連解体後の今日の破局的状況に対して、かつて「逆ボリシェヴィズム」をあおりまくった欧米や日本の観察者たちにも、一斑の責任があるのではなかろうか。(「社会主義」、pp.44-46)
なお、著者の反「ユートピア」主義が(どっちもどっち的な)「シニシズム」やたんなる「中道」にとどまるものではなく、寧ろ無限の自己反省を要求するものであるということは記しておかなければならない。

(前略)ソ連・東欧社会主義の蹉跌は、特定の教理だけのものではなく、理想主義的な運動に一般的にひそむ陥穽とも関係するのではないかということである。スターリニズムをロシアだけの特殊事情に帰したり、マルクスレーニン主義だけの問題に帰する議論もあるが、これはいささか安易である。もちろん、そうした要素がないわけではないが、より広くみるならば、およそ何らかの高い目標・理想を掲げる運動は一般に独善主義に陥りやすいものである。邪悪な運動だけが邪悪な結果をもたらすのではなく、むしろ目標が高貴であればあるほど、それを担う人のうちに、自分こそが絶対的正義を体現しており、自分に反対する者はみな反動的だという思い込みが生まれやすい。「スターリニズム」という言葉を最広義に理解するなら、このような側面を見落とすことはできないだろう。だとするならば、エコロジー運動であれ、フェミニズムであれ、その他さまざまな差別反対運動や市民運動であれ、どのような理想を目指す運動も、同様の陥穽から完全に免れられるという保証はないことになる。「伝統的な社会主義が破産したから、これからはエコロジーフェミニズムの時代だ」という発想が最近一部で流行しており、私自身も、心情的にはこれに共感したい気持ちがないわけではない。だが、もしそれが、従来の革新運動の精神への深い反省を欠いた単純な目標の変更であるならば、同様の危険性がひそんでいるということを指摘しないわけにはいかない。(「社会主義の運命」、pp.123-124)
さて、日本の左翼の蘇聯などの社会主義国、さらにはマルクス主義認識を巡って。1980年代末からの「東欧激変」を説明する「社会主義マルクス主義の破産」論について、著者はいう;

この種の議論の日本版の場合、日本の特に知識人の間にはマルクス主義ソ連に関する幻想・思い入れが強かったので、それが壊れたという意味で東欧激変は衝撃的な事件だったとするものが多い。このようにいう人自身は、以前からマルクス主義に批判的であって、ようやく我が世の春がやってきたと大喜びし、永年の敵手の敗北を歓迎しているようである。しかし、これは、一昔どころか二昔、三昔以上も前の状況を念頭においた発想といわざるをえない。ソ連に対する幻想などは、ずいぶん昔−−おそらく四半世紀以上前−−から崩れ去っていたし、それと区別されるマルクス主義社会主義の権威もここ一〇年ないし二〇年の間、低下する一方であって、今や大学生の基本的教養の中にマルクス主義などほとんど残っていないような時代なのである。このような変化に気づかずに、今ごろようやくマルクス主義が敗北したといって、鬼の首でもとったように大騒ぎするのは、およそ時代錯誤というほかない。(「ペレストロイカの転機と社会主義改革論の再考」、p.98)

(前略)社会主義諸国を「平和勢力」とし、アメリカを先頭とする先進資本主義国を「帝国主義」ととらえて、専ら後者の軍事政策を批判するのが戦後日本の平和主義者の主流であり、従ってそれは社会主義の偽装した形態だったとされる。しかし、私のみるところ、〈社会主義国イコール平和勢力〉などという素朴なプロパガンダが勢いをもっていたのはせいぜい一九五〇年代までであり、その後の平和運動は中国・ソ連の核実験にも反対したし、アメリカの軍事行動のみならずソ連チェコスロヴァキア侵攻やアフガニスタン侵攻などに対しても批判的だった。平和運動の中に社会主義勢力が含まれていたことは事実だとしても、両者を単純に同一視することはできない。(後略)(「転向論再考」、p.260)
脳内が(1994年の時点においての)「一昔どころか二昔、三昔以上も前」に遡行してしまった連中に乗っ取られた政権与党*2が選挙で大敗を喫したということがごく最近あった。また、「広島平和記念式」は左翼の集会だと公言してしまった元将軍様もおりました*3。なお、この件に関しては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060927/1159324955http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070305/1173063168 も参照のこと。
ところで、「社会民主主義」は(著者にとって)どうなっているのか;

(前略)「社会民主主義」は伝統的マルクス主義における意味での「社会主義」ではないということを押さえておかなければならない。伝統的マルクス主義における意味での「社会主義」は、資本主義に全面的にとって代わろうとする体制としての社会主義を指していた。(「社会主義の運命」、p.119)
さらに、「社会民主主義に期待を託すというのは、とりもなおさず資本主義の打倒をあきらめたということであり、社会主義の敗北=資本主義の勝利を認めた以外のなにものでもない」(p.120)。

*1:この時期は、日本においては、細川連立政権によって自民党が最初に下野し、さらに自民社会連立の村山内閣が生まれた時期と重なっている。

*2:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090826/1251225298

*3:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090824/1251137040