「普遍」など

「逢坂冬馬×小川哲対談」(in『世界を知る。 ハヤカワ文庫の100冊 2022』*1早川書房、pp.12-15)


小川氏は直木賞を獲ったのだな。


――逢坂さんの『同志少女よ、敵を撃て』、小川さんの『ゲームの王国』はどちらも日本以外の場所が舞台となっています。世界について考えるうえで影響を受けた作品はありますか?
逢坂 なんといってもジャック・ヒギンズの作品ですね。『鷲は舞い降りた』は自分にとって小説の理想形の一つです。
ヒギンズが偉大だったのは、第二次世界大戦の記憶の色濃い時代に、自国イギリスの敵だったドイツ軍人の視点からチャーチル暗殺計画を描き、価値観を転換したことだと思います。読者は計画が失敗することをあらかじめ知っているわけですが、そこで戦争の無情さや不条理を突きつけられます。もしイギリスの軍人を主人公に同じ出来事を描いていたら、これほどのむなしさは出ないでしょう。そこに小説が戦争を描く意義があるし、それを冒険小説から学べたことに感謝しています。
小川 無情さや不条理という意味ではアゴタ・クリストフ悪童日記』や、SFだとジョージ・オーウェル『一九八四年』*2でしょうね。(pp.12-14)
『一九八四年』の話が続く;

逢坂 書店を訪問した際に聞いた話ですが、世相が不安定になると『一九八四年』が売れるそうで。
小川 トランプ大統領が勝った時にもアメリカでAmazonランキングで一位になったり。
逢坂 なぜトランプ大統領はあんなに嘘ばかりつくんだという質問に、大統領報道官が「われわれが提示しているのはもう一つの真実、オルタナティヴファクトだ」とわけのわからない弁明をして、みんながオーウェルを連想したという。
小川 まさにニュースピークだ! と。オーウェルがこの小説を書いてからすでに七十年ぐらい経っているし、モデルになったのは明らかに当時の共産主義国家なのだけど、構造自体はかたちを変えて何度も歴史に現れて、そのたびにオーウェルが売れるという。
逢坂 僕は一九八五年生まれなんですが、予見された近未来の翌年に生まれたと考えるといつも奇妙な感じがするんですよね。
小川 僕は一九八六年です。もしタイトルが『一九八四年』ではなく『昭和五十九年』だったら、と考えると複雑な感じになりますね。(p.14)

小川 どの時代のどの国家のどの状況にもディストピア的な構造は普遍的にあって、それがなんらかのきっかけで色濃く出てくると注目されるんでしょうね。こういうものを書けるのがSFのすごさなのかなと思います。SFだからこそ普遍に達している作品は他にもありますね。カート・ヴォネガット・ジュニアスローターハウス5*3グレッグ・イーガンディアスポラ』、アーサー・C・クラーク幼年期の終り』には、フィクションという形式そのものの普遍性を感じます。(pp.14-15)

逢坂 ナチス包囲下のレニングラードを描いた、デイヴィッド・ペニオフ『卵をめぐる祖父の戦争』も非常にフィクショナルな小説です。じつは、影響を受けるのが嫌で『同志少女~』執筆が終わってからやっと読みました。『同志少女~』では登場人物のリアクションについてもロシア文学者の奈倉有里先生*4に細かく考証してもらったんですが「いろいろなロシア人に会ったけど、根本的には変わらない。人間は普遍的だから」と言われて、日本人である自分が独ソ戦を書く意義に悩んでいたとき、その言葉にすごく励まされました。
僕の祖父は戦争体験者で、配属されたときには海軍が壊滅寸前だったからぎりぎり出征せずに済んだんですね。『卵をめぐる祖父の戦争』はフィクションですが、身内が経験した戦争を語ることの意義を考えさせられました。自分たちはそういったものを語れる最後の世代なのかな、とか。(p.15)