或いは最強のサバルタン、など

「作家・辺見庸さん「現在は戦時」」http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1309070012/


『神奈川新聞』の記事。辺見庸*1へのインタヴュー。
少しコピペ。


橋下徹大阪市長従軍慰安婦発言*2、在日外国人への罵詈雑言、麻生太郎副総理のナチス発言。「無知」で「醜い」ことが立て続けに起きている。

 インタビューの最中、辺見さんは何度も「ディストピア」という言葉を口にした。ユートピアの反対語で「暗黒社会」だ。

 レイ・ブラッドベリの『華氏451度』*3ジョージ・オーウェルの『1984年』*4などがディストピア小説として知られる。

 「華氏451度の世界では、本を読むことが禁止されている。そこで人間が記憶する歴史は数年だ。スポーツが奨励され、深く考えないことも奨励されている。まさに今です」

 植民地支配と侵略の責任を認めた「村山談話」の継承を否定してみせた安倍首相の歴史認識。辺見さんは「歴史の修正ではなく、歴史の転覆だ」と言う。

 「平和性を自己申告して、千数百万人から2千万人が殺されたアジアの人たちの誰が信用しますか。好戦的な国か、平和な国かは他の国が決めること。旭日旗に対する恐怖は彼らに焼き付いている。相手の恐怖に対する想像力を著しく欠いている」

 首相や閣僚、首長の歴史転覆発言。福島第1原発の汚染水が垂れ流される中でのオリンピック誘致の狂騒−。華氏451度の世界そのものだ。

華氏451度 (ハヤカワ文庫 NV 106)

華氏451度 (ハヤカワ文庫 NV 106)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

歴史修正主義〉ではなく〈歴史顛覆主義〉ね。
「 そこで人間が記憶する歴史は数年だ」云々について、最近読んだ許知遠「記憶之年」(in 『時代的稲草人』*5、pp.217-220)をマークしておきたい。ここで批判的に論ぜられているのは中国における歴史的記憶。

ディストピア小説で予測されたのは全体主義だった。だが、誰も予測しなかった恐ろしいことが今、起きているのではないかと辺見さんは危ぶむ。「虚無社会です。人の内面も空虚になっているのではないか」。忖度、斟酌、皆一緒。言葉を脱臼させ、根腐れさせるシニシズムがはびこる。進んで不自由になろうとする社会に、どう抗えばいいのか。

 「個として、戦端を開いていくべきだ」。辺見さんは力を込めた。

 「違う」と声を荒らげることが、むなしいこと、かっこ悪いことという空気が醸される中で、一人で怒り、嫌な奴をぐっとにらむ。

 「自由であるためには孤立しなくちゃいけない。例外にならなくてはいけないんです」。例外を認めず、孤立者を許さない。それがファシズムだからだ。

そして、

取材の2日前、辺見さんは都内で「死刑と新しいファシズム」と題した講演を行っていた。前売り券は売り切れ、聴くことができなかった。

 人でありながら人でなく、絶えず監視される死刑囚の状態を「禁中(宮中)と似ている」とし、その内側を知ろうとしないわれわれ。「日本はあらかじめファシズムの国」なのではないか−。

 辺見さんはそう語ったと、後日届いたメールで知った。

「禁中」とは味わい深い言葉だ。ところで、語ることができず語られるのみの存在、(自らを)表象=代表することができず表象=代表されるのみの存在をサバルタン(Subaltern)*6とするなら、天皇ってもしかしたら日本最強のサバルタンなのかも知れない。