「アフガン」の傷も癒えず

承前*1

ドミートリー・ブィコフ*2「戦争という完全な悪に対峙する──ウクライナ侵攻に寄せて」(奈倉有里編訳)https://note.com/iwanaminote/n/n3d5608b53e10


ラヂオ・パーソナリティでもあるブィコフ氏の番組『モスクワのこだま』2月25日の放送から。


ロシアがどうやってこの戦争から抜け出すのか、そのときどうなっているのか、私にはわからない。おそらく、とても長い時間がかかるだろう。ロシアにとってこの戦争が、自国民との戦争にもなることは間違いない。すでにモスクワでも平和を訴えた人が1000人以上逮捕され、わずかに生き延びていた報道機関も制圧され、「戦争に反対する可能性がある」だけの人々の自宅にまで警察が押しかけて逮捕しようとしている。この番組によく出演してくれている詩人のマリーナ・ボロヂツカヤの家にも警察が脅しをかけにきた。

ロシアの政権や警察が「国家の敵」としているのはそういう人々だ。かつてワシーリー・アクショーノフ〔1932-2009、作家〕が、イリーナ・ラトゥシンスカヤ〔1954-2017、ウクライナ出身の詩人。82年に反ソ的作品を理由に逮捕され投獄〕の写真を用いて「詩を描いている女の子だ、ソ連はこんな子を敵と見做しているのだ」と嘆いた。しかしいまのロシア政府はブレジネフ政権と比較にもならないほど、女だろうと子供だろうと自民族だろうと他民族だろうとどんな相手も敵に仕立てあげようとしている。周知のようにプーチンはなにか超越的というか、形而上学的といってもいいほどの憎悪にかられている。これは恐ろしいことだが、最も恐ろしいのはロシアがこの先長い時間をかけてその道を行こうとしていることだ。

「超越的というか、形而上学的といってもいいほどの憎悪」というフレーズが印象に残った。
露西亜の侵略によって、「世界からみれば今後ウクライナは神聖な存在となり、ウクライナのしたことならなにもかも批判できないような世論も生まれるだろう」と危惧する。また、露西亜の侵略はウクライナナショナリズムや排外主義を刺戟するするだろう。

恐ろしい展開が頭に浮かぶ。もしウクライナ側も軍を組織し、こうして裏付けのできてしまった「ロシア嫌悪」に基づいて戦争を展開し、ロシアとのすべての関係を断ち、密接に絡んだ根を断とうとし、今後の選挙でその勢力が勝ち続けるとしたら──。

ロシア政府で権力を握った人間は、まさかこんなふうに世界中の人間を踏み躙り、すべての意味のあるものが意味をなくし──人を、神の探求も対話も芸術も、あらゆる価値あるものに取り組めない状態にし、ただ恐怖と憎しみに震える獣に変えてしまうような、そんな状態にすることが目的だったというのか。ほんとうにこんなことが目的なのか?! だがそんなことが可能になってしまったのは、権力側の人間があらゆる市民を、暴力を使えばどんなことでも言うことを聞かせられる存在だと思っているからでもある。


いま「こうするしかなかった」と言っている人々、「ロシアは敵に囲まれNATOに侵略されそうになっていたから戦争は避けられなかった」と言っている人々が、呪われるであろうことは間違いない。しかしどんなに呪ってもなにも救われないし、なにももたらされない。

未来の学術界はこの事象をどう扱うことになるのだろう──なにしろファシズムが、一切のイデオロギー抜きで成立するものだということが明らかになったのだ。たんなるルサンチマンひとつで成立してしまうのだ。つまりファシズムとは、思想の生んだ現象でも文化の生んだ現象でもなく、心理的現象、あるいは心の病気のような現象だったのだ。それは感情であり、その感情に身を委ねることを心地よく思う人がいる。人間の本性として、巨悪に加担し、なにをやっても許されるという興奮状態に陥り、威力を見せつけたいという感情がある。人を酔わせる、怒りの感情だ。


これは大惨事となり、ロシアは以前の姿には戻れないだろう。歴史を逆行させ権力を維持しようという試みは必ず失敗する。おそらく権力側はウクライナに傀儡政府をたてようとするだろうし、その計画は彼らのお気に入りのシンボルにのっとって進めるつもりだ──つまり2月23日〔祖国防衛の日〕に始め、5月8日〔戦勝記念日〕までには終える計画だろう。そしてキエフの中央通りで戦勝パレードをするつもりなのだろう。その計画通りに進むかどうかはわからない。こんにちのロシアとヒトラーのドイツの類似性はすでに多くの人が指摘しているが、充分に説得力がある。グライヴィッツのときのヒトラーの演説と、先日のプーチンの演説は、語り口といい構成といい、驚くほどよく似ている。なかでも最も重要な共通点は、レマルクが『リスボンの夜』で描いた、全世界にいじめられてでもいるかのような、あの口調だ。「だって、我々はこんなにがんばってたのに」と……ああ、なんて恥ずかしいことだろう。

私たちは予想外のことが起きたかのように驚いている。私もまた、こんな戦争が起きてほしくないという一縷の希望にすがっていた。けれどもいまではその希望を恥ずかしく思う。何者かが「ガア」とアヒルのように鳴いたら、その正体はやはりアヒルなのだ。似ているのではなく、そのものなのだ。プーチン政権のやってきたことは、おそろしいほどすべてが、ここに向かっていた。憎悪の蔓延してきたここ8年のことだけではない、20年かけてここまで進んできた。

いちばんショックだったのは、「アフガニスタン侵攻〔1979-89〕の傷も癒えていないうちに、ウクライナに攻め入ったなどという事実を抱えて、どうやって生きていくのだろう」というセンテンスだ。蘇聯の撤退から既に30年以上経っているというのに!
リスナーからの質問に答えて;

▼ではソ連チェコスロヴァキア侵攻はどうなのか、あるいは、アメリカは広島に原爆を落としたじゃないか。


―― アメリカとロシアのどちらが酷いか競争してはいけない。他国をみるなら、より良いと思うような国を見つけたときに、その「良さ」を競えばいい。もちろん私はアメリカが広島に原爆を落としたのはアメリカの功績ではなく恥だと考えている。ただしアメリカはベトナムについてもインドシナについても幾度となく自らの行いを悔いてきたし、ベトナム戦争に反対した人たちがその後、国民からの支持を集めた。ただし元ベトナム帰還兵でベトナム戦争を批判した有名な映画監督のオリバー・ストーンはいまどういうわけかプーチンを理想化している。人が過ちに陥る過程はさまざまだ。

だがともかくアメリカでは、たとえば大統領がひどい過ちを犯したら、そのあとは選挙で別の人間を選ぶなどして、少なくともその問題と向き合おうとしてきた。なぜかロシアではそういったことが起こらない。

オリヴァー・ストーン*3、出た!
さて、ブィコフ氏は露西亜当局によって「毒を盛られていた」という。これを読んで、かつてオウム真理教江川紹子小林よしのりの毒殺を試みていたことを思い出した*4。オウムも露西亜とは因縁が深いのだった*5