配置ゲーム(濱口竜介)

早川書房のパンフレット『世界を知る。 ハヤカワ文庫の100冊 2022』に収録されている 濱口竜介*1のエッセイ、「言葉の「配置」としてのゲーム性が露わになる。」(pp.24-25)。


言葉を話すことと「書く」ことはまったく異なる。言葉は話す都度消えていくが書かれた文字は残る。そこで可能になるのは、書かれた文字を前に思考することだ。さて、次に何を書き込むか。ある文字を書きつけたその次に何を書きつけるかで、言葉も意味は変わっていく。ある言葉の後に、何を続けてもいいわけではない。語られるべきことに応じて然るべき意味を形づくらなければいけないというルールが存在する。このとき「書く」という行為における、将棋盤や碁盤を前にしたときのような言葉の「配置」としてのゲーム性が露わになる。(pp.24-25)

小川哲『ゲームの王国』はカンボジアを舞台として、一九五〇‐七〇年代のクメール・ルージュの暗躍を描く歴史小説マジック・リアリズム的な上巻と、近未来サイバーSFへと生まれ変わる下巻からなるめっぽう面白い小説なのだが、単純な物語自体の面白さと異質の「熱」がページを捲る指先に伝わってくる。(略)これは言葉の配置こそがもたらす作者の高揚そのものだ。より良い世界を求める「ポル・ポトの娘」ソリヤと「ゲームの天才」ムイタックの運命がDNAの二重らせんのように絡まり合う。文字が文字を呼び、世界は切り開かれ、深掘られ、残酷なまでに仮借なく進行する。言葉が言葉自体の可能性を明らかにしていくその都度、書く作者の脳は熱を帯びていたはずだ。その言葉を受け取る読者の脳にも同じ熱が発生する(後略)(p.25)