「理屈が立たない」こと

矢内裕子*1「様々な不幸乗り越えるも最期は事故… 不運の作家、カミュの生涯と作品、その思想に迫る一冊」https://news.yahoo.co.jp/articles/cfe94b7707a4d6ac250d64a17c903d1d6e19ae15


カミュ伝』の著者、中条省平*2へのインタヴュー記事。


 1913年、フランスの植民地だったアルジェリアに生まれたカミュ*3は、父親を第1次世界大戦で亡くし、ひどい貧困の中で成長した。カミュの才能を惜しむ教師の勧めで、奨学金を得てリセに進学するが、結核をわずらい中退。カミュの人生は貧困や病気、戦争といった出来事で、たびたび中断されてしまう。

カミュの思想の核心にある不条理という概念は自身の体験が大きな影響を与えていますが、コロナ禍で私たちが置かれた状況にもあてはまるものではないでしょうか。ただ、カミュの考えていた不条理と日本人の受け止め方には、大きな違いもあります」


フランス語で不条理をあらわす「アプシュルド(absurde)」には理屈が立たないという意味だけでなく「ばかげている、ナンセンスだ」という意味がある。このニュアンスが翻訳の際に抜け落ちてしまったのだ。

「『カミュ伝』では不条理が意味するものをわかりやすく説明し、カミュをフランス文学の文脈から解き放ちたいと考えました。日本でフランス文学というと、よくいえば高踏的、悪く言えば現実と無関係な観念の遊びをやっているというイメージがありますね。けれどカミュの書いた小説作品は、病気やレジスタンスといった彼の体験、実人生と結びついて、そこから生み出されたものでした」

 たとえば『異邦人』の有名な冒頭「きょう、ママンが死んだ」は、場末に住んでいる主人公ムルソーの境遇を考えると「母さん」と訳すのが妥当ではないか。他にも山田風太郎三島由紀夫カミュと同じ考えを持っていたこと、また青年時代からの演劇との関わり、恋多き男であったことなども興味深い。

カミュは『異邦人』で20世紀の人間像の典型を作り出しました。46歳のとき、自動車事故で急死しますが、それさえも自動車という現代性を帯びて、彼の人生を結晶化させるようなものになった。残酷だけれど、カミュらしい死を生きたといえるでしょう」

ところで、「理屈が立たない」ことを「ナンセンス」というのではないだろか? absurdがslapstickに言い換えられることは、(やはりカミュの影響を色濃く受けた)ピーター・バーガーのThe Precarious Vision: A Sociologist Looks at Social Fictions and Christian Faith*4を読んで、学んだのだった。