1972年の焚火

承前*1

四方田犬彦中条省平「忘れ去られたひとびとの声を拾い上げる」『ちくま』(筑摩書房)569、pp.50-55、2018


抜書き。


四方田 七二年くらいの話で記憶に残っているのが、新宿で五本立てくらいの映画を見て、朝の四時とか五時に新宿駅に歩いていくんですが、冬ですごく寒いわけです。そうすると、路上でたき火をやっていて、十円払うとあたらせてくれる(笑)。ガールフレンドと一緒にたき火にあたるわけですが、ずっとたき火のほうを向いてあたっていると熱くなるので、途中で背を向ける。で、みんな火に対して背を向けながら対話だけは続いていて、いま振り返ると七二年というのはそういう時代だったのかという気がします。政治の季節が終わり、みんな顔をつきあわせて話すことはしなくなったけど、背中越しにそれでもまだ話しているというような。のちに赤瀬川原平さん*2とそんな話をしたら、「あったねえ、そういうの」って盛り上がりました。
中条 そのころの赤瀬川さんはハイレッド・センター*3も一段落し、小説はまだ書く前の少し宙ぶらりんの時期になるでしょうか。
四方田 足立正生さん*4の話を聞くと、赤瀬川さんもパレスチナに行く予定だったらしいんです。PFLPのポスターもみんな赤瀬川さんが描いていたみたいですしね。パレスチナでは、このポスターはすごいぞ、日本はすごいという話になっていたようです。(pp.53-54)
赤瀬川原平パレスティナとの関係というのは知らなかった。