トーキーやカラーも問題?

東京新聞』の記事;


ダメなの?13歳投書に反響 漫画VS本


2012年3月3日 朝刊

 「何で本は読まなきゃいけなくて、漫画はダメなの」「そもそも漫画と本の違いって」−? 十三歳の中学生が本紙に寄せた投書が、反響を呼んでいる。六十歳の男性が「本は思考力を養う」と読書を勧めると、四十七歳女性が「思考力は本でも漫画でも養われる」と反論。古くて新しいこの論争、漫画や本の世界に携わる人たちはどう考える? (岩岡千景)

 投書は、東京都港区の中学生須藤美佳さん(13)から。漫画を読んでいると母親から「本をいっぱい読みなさい」と言われるといい、抱いた疑問をつづった文が、二月六日の発言欄に載った。

 これに、静岡県熱海市の会社員小磯清さん(60)は「大きな違いは絵がないこと」「絵がなければ、情景を頭の中で描きながら読む。それこそが思考力」と読書を勧める。すると東京都武蔵野市の自由業、田中ヒサコさん(47)が「漫画も思考力を養う」と意見を返し、発言欄で反響が続いた。

 漫画と活字の本、それぞれの分野で活躍する識者は、この論争をどうとらえるか。

 「漫画は古くからある日本の文化。漫画をバカにするのは歌舞伎をバカにするのと同じ」。そう話すのは、『新・絶望に効く薬』(光文社)などで若者に人気の漫画家、山田玲司さん(46)。「平安時代源氏物語絵巻などの絵巻物に始まり、浮世絵、ポンチ絵(江戸末期の漫画絵)、児童漫画と、絵と文字を組み合わせた文化の歴史は古い」と話す。

 今や漫画は「クールジャパン」(かっこいい日本)と呼ばれる日本文化の代表で、海外では小説以上に評価が高い。また岩崎夏海さんの『もしドラ』や、ライトノベルと呼ばれる本は、漫画と中身や構成がほとんど変わらない。

 こうした事情を挙げ、山田さんは日本の漫画の質の高さを力説。「将棋を指す時と映画を見る時では脳への刺激が違うように、違いはあっても善しあしはなく、どちらも人生のお楽しみ。両方を楽しんで」と助言した。

 また『マンガの教養』(幻冬舎新書)の著書がある学習院大教授(フランス文学)の中条省平教授(57)も「物語性の深い漫画は日本に独特。文字と絵を同時に理解し、一コマの中身が複雑な作品も多く、読解力が必要で、読んだ経験は絶対にプラス」と話す。

 その力は「漢字を読む能力と似ている」とも。「日本人は、中国から入ってきた漢字を音で理解するだけでなく、訓として日本語でも理解し、音声と観念を同時に認識している。漫画も意味伝達の構造は似ていて、その創造性は大事にしたい」

 一方、『心を育てる朝の読書』(教育開発研究所)著者で、学校で始業前に本を読む「朝読書」を推進してきた元高校教諭の林公(ひろし)さん(68)は「入学試験を受けるにも、人とコミュニケーションを取るにも、生きていく上で言葉は不可欠。漫画も、言葉があってこそ中身が理解できる。小中学生は言葉の力が身に付く大事な時期。漫画もいいが、まずは物語などの本を読み、言葉の力を蓄えて」と説いた。
◆須藤さんの投書の要旨

 私は漫画が大好きだ。でも、ずっと漫画を読んでいると母は言う。「漫画ばっかり読むな!」。そして「本をいっぱい読みなさいね」。そういう時、私はいつも思う。「何で本はいっぱい読まなきゃいけないのに、漫画は読んじゃだめなわけ?」と。そもそも漫画と本の違いって何だ。絵が付いているか、いないかだけじゃないか! 大人は何の根拠もなしに「漫画はあまりいいものではない」と決めつけているだけだと思う。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012030302000191.html

これは昔から燻っていた論争ではあるな。それが21世紀になってもまた反復されているということに驚くべきか。「絵巻物」から日本の漫画の歴史を云々するというのも或る種の常識に属してはいる*1。また漫画というか「絵と文字を組み合わせた文化」と漢字との関係を巡っては、あの呉智英*2も常々言っていることではなかったか。より学術的に洗練されたものとしては、前田愛*3(『都市空間のなかの文学』)或いは由良君美(『言語文化のフロンティア』*4)とか。
都市空間のなかの文学 (ちくま学芸文庫)

都市空間のなかの文学 (ちくま学芸文庫)

言語文化のフロンティア (講談社学術文庫)

言語文化のフロンティア (講談社学術文庫)

ところで、こうはいえないだろうか。「漫画」は文字に依存しすぎているが故に想像力の発達を阻害すると。絵というかヴィジュアル・イメージはロラン・バルト流に言えば、コードなきメッセージだと取り敢えずは言えるだろう(cf. eg. 「映像の修辞学」)。「漫画」において「絵と文字を組み合わせ」ることは、〈コードなきメッセージ〉にコードを押しつけて解釈の可能性を狭く限定してしまうことなのでは? だとしたら、「漫画」は文字への安易な依存を断ち切って、純粋な〈絵本〉を目指すべきなのでは? また映画に台詞が被さって〈トーキー映画〉が誕生したとき、そこに反動的なもの或いは映画の〈堕落〉を感じ取った人も多かった筈なのだ(例えば『視覚的人間』のベラ・バラージュ)。Michel HazanaviciusのThe Artistがオスカーを獲ったのを契機に*5、トーキーやカラー映画は想像力を阻害するから白黒・無声映画に戻れ! という論は出てこないのだろうか。マジにいって、実験として、1か月間TVから音声と色を抜いてしまったら、かなり面白い結果になるぞ。
映像の修辞学 (1980年) (エピステーメー叢書)

映像の修辞学 (1980年) (エピステーメー叢書)

視覚的人間―映画のドラマツルギー (岩波文庫 青 557-1)

視覚的人間―映画のドラマツルギー (岩波文庫 青 557-1)

 
See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120124/1327375315