「相互に関係なく、しかし同時に」

新宿泥棒日記 [DVD]

新宿泥棒日記 [DVD]

四方田犬彦*1中条省平*2「忘れ去られたひとびとの声を拾い上げる」『ちくま』(筑摩書房)569、pp.50-55、2018


ジャン=リュック・ゴダールの『たのしい知識』と大島渚の『新宿泥棒日記』を巡って。


中条 (前略)従来の映画のセリフというのは、語り合う者同士がたがいに理解し合うための言葉なのですが、ゴダールやあの頃の大島渚は、そういうコミュニケーションの可能性という前提をすらもはや信じていないんですね。整然とした対話でなく、会話のなかに果てしないモノローグや一方的なアジ演説や会話を断ち切るノイズをどんどんぶち込んでいく。(略)ここには、あの時代特有の、すべてを疑えとか、造反有理とか、すべてを破壊してもかまわないとかいう空気が色濃く映し出されています。一九六八年に日本とフランスで『たのしい知識』と『新宿泥棒日記』という二本の映画が撮られて、たまたまその両者の中で、ものすごいノイズの中でコミュニケーションならざるコミュニケーションが行なわれる場面があるということは、やはり同時代の空気の中でたがいに響きあうものがあるという証明ですよね。
そして、ゴダール大島渚もほとんど確信犯的に、お前たちにはこれはわからないだろう、本当にわかるつもりなのかと観客を問いつめるような作品になっています。観客もそこに身体ごとぶちあたって体験するほかないし、そういう真剣勝負を迫られる。とても五〇年前の作品と思えない生々しさがあります。ゴダール大島渚というフランスと日本をそれぞれ代表する映画監督が、相互に関係なく、しかし同時にこうした同じメッセージを発する挑発的な映画を作ってしまう。これこそ一九六八年という時代のなせるわざだったのではないでしょうか。
四方田 響き合うのはつまり、ゼネストで街路が騒乱に埋め尽くされる一方で、密室で二人の男女が傘を手にしながら本をひたすらに読んでいるというゴダールの六八年パリと、まさにいま我々がいる新宿紀伊國屋を舞台に*3、横山リエという現在はここから三〇〇メートル離れたところでバーをやっている女性が紀伊國屋の偽社員となって深夜に書物を集めて積み上げていく、そうするとそこから著者の声――ジャン・ジュネの『泥棒日記』に田村隆一の「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」、埴谷雄高なんかも出てきます――が響いてきて、一日一冊ずつ積み上げられていくところに、心配になった横尾忠則が駆けつけるという話で、外の世界が戦争状態のように騒然とする中、密室的な場所で書物を媒介に男女が語り合うという大島の新宿は非常に共通していると思います。
面白いのは、お互いがお互いの存在をまったく知らずに同じことをしている点です。いまだったらインターネットで、あ、フランスでゴダールがこんなことしているのかというので、すぐ真似できますけど、当時はもちろんそんなものありませんから、偶然に同じような作品を作っていたわけです。
このようにして映画に限らず音楽でも写真でも、一九六八年から七二年くらいまでにかけて、なにか不可視の世界的同時性がアートや文化の領域で生じていたように思います。
中条 『1968』という、その時代のさまざま資料を防大に集めて書かれた大著がありまして、その著者である小熊英二さんという社会学*4が先頃「思想」という雑誌で、「1968年」というのは東京やパリで同時多発的に起こったように見えるが、それらは基本的に無関係な出来事に過ぎないと断言していました。
しかし、一九六八年に中学二年生だった僕の実感としては、四方田さんが提示してくれたように、大島とゴダールがお互いに関係なくしかし結果として同じことをやっていたように、そこにはまぎれもない〈世界性〉があったというほうが自分の認識としても感覚としてもしっくりくるんです。
(後略)(pp.50-51)
泥棒日記 (新潮文庫)

泥棒日記 (新潮文庫)


ところで、大島渚のコミュニケーションへの不信はさらに初期に遡るという論もある。北小路隆志大島渚追悼――「罵り合い」の「論理」と「ポエジー」」*51から;

(前略)彼の映画にあって、人が集まれば酒を飲み、議論を戦わせ、そして歌を歌い始める。それぞれの歌がある種のイデオロギーを体現することも多いが、ある意味で問題は、歌の内容である以上に、それが一人かそれに近いかたちで歌われるか、それとも合唱されるかの違いにある。『日本の夜と霧』に登場する「歌ごえ運動」や『日本春歌考』における若者らのフォークソングなどは集団によって和気藹々と合唱されるが、大島にとってそれは不愉快な行動以外の何ものでもないように映る。歌とは対立軸を生み出すための罵りであって、それが和解や「真実」へと収斂されるときにこそ、権力やファシズムが生起するのだ。だからまさに歌合戦の映画ともいうべき『日本春歌考』における、春歌(猥歌、エロ歌)と軍歌の闘いは、いかなる意味でも、つまり平和(民主主義)的にも弁証法マルクス主義)的にも解決を見ず、大島は一貫して合唱(対立の和解)を批判する。同作での春歌が、もっぱら伊丹十三演じる高校教師によって独唱され、彼を死へと導く教え子の高校生(荒木一郎)によって継承される一方、軍歌は、飲み屋に集う男性らによって合唱され、さらにその延長線上に教師の通夜の席でかつての同級生らによって歌われる全学連の「国際学連の歌」――その場に居合わせた荒木を頑なに俯かせしめるもの――やその60年代後半版であるフォークソングの合唱が加わるだろう。吉田日出子演じる女子高校生がボソボソと孤独に歌う朝鮮人従軍慰安婦の記憶を秘めた歌が、大島的な歌の最たるもので、それは決して和解(合唱)を認めず、できるのは、ただ歌い継ぐことのみだ。『太陽の墓場』(1960年)で佐々木功によって歌われる「流浪の歌」に始まる大島作品における歌の主題は(略)それは音楽というよりは言語の問題に属するものと位置づけなければならない。安易なコミュニケーションを許さない歌と言語……。(略)彼はしばしば「音楽嫌い」をも公言しているのだ。(p.60)
(Cited in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20140726/1406364098
太陽の墓場 [DVD]

太陽の墓場 [DVD]

*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050618 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060120/1137745397 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060927/1159366397 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070219/1171856820 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070515/1179237549 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070605/1181012495 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070911/1189437787 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080905/1220637463 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090621/1245524625 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090707/1246939532 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100215/1266172377 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100219/1266520878 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100224/1267034263 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101019/1287460367 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110525/1306287120 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110805/1312481934 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130418/1366301623 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130924/1380045500 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130925/1380121265 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20141004/1412363750 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20151129/1448815193 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160611/1465618195 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160723/1469283474 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170530/1496164942 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170901/1504285580 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180624/1529805997

*2:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100805/1280971666 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20101015/1287072242 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20120307/1331127092 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20130626/1372259831

*3:この紀伊國屋書店本店で行われた。

*4:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20050604 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20060513/1147548713 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20060920/1158717336 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080424/1209010822 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20091222/1261491800 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20130129/1359438129 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20171214/1513220987

*5:intoxicate』102、2013、pp.56-61