変わる社会、変わらない社会

坂田聡『苗字と名前の歴史』*1から。


今日の日本人男性の場合、一般的には生まれてから死ぬまでの間、苗字にしろ下の名前にしろ、個人名を変えることがほとんどないが、当時*2の人々の意識からすると、生涯人名を変えない者は、いろいろな意味でむしろ特殊な存在とみなされた。
中世、特に戦国時代の村人(男性)たち*3は、ひとりひとりが複数の名前を持ち、成長して通過儀礼を経るたびごとに名前を変えたり、あるいはケース・バイ・ケースで、いくつかの名前を使い分けていたりした。もう少し具体的に述べると、彼らの多くは、(1)少年時代の童名→(2)「烏帽子成り」の儀式により若衆となった時に名のる成人名→(3)「官途成り」と呼ばれる儀式を済ませて老衆の仲間入りをした者が用いる官途名→(4)「入道成り」を遂げて出家した人物の名前である法名の順で、名前を変えた。
また、同一人物でも公式書類に署名したり、公的な儀式に参加したりする際には、姓*4と実名*5(正式な名前)を用いたのに対して、村の中における日常生活の場面では、成人名と官途名に代表される字(略)や法名などを名のっていた。苗字は最初の頃はあくまでも私的なものだったが、しだいに公的な色彩を帯びてきて、姓に取って代わるようになった。(pp.17-18)
このことは後世の歴史学者を惑わせることになる;

(前略)私たちがこの時代の荘園や村に関する諸史料を使って研究にあたる時、そこに登場するたくさんの村人たちの名前の扱い方には注意を要する。名前が違うのでてっきり別人だと思い込んでいると、実は同一人物だったなどということが、しょっちゅう起こるのである。
つまり、共同体の内外を問わず、同名の人物がたくさん存在したことの裏返しとして、別名であっても同一人物だということもあったのだが、どちらにしても、当時の人々の名前が、個人の特定よりも、むしろ分類の標識として機能していたことは間違いない。(後略)(p.18)
「生涯人名を変えない者は、いろいろな意味でむしろ特殊な存在とみなされた」ということに関して。「子ども時代にみなが名のっていた童名が、人によっては成人年齢に達しても改名されずに、そのまま字化したもの」(p.71)。例えば「犬次郎・辰三郎・鬼次郎・松丸・菊五郎といった、動物・植物の名を含んだ字や、観音太郎・釈迦次郎・毘沙門三郎といった、仏神の名を含んだ字」(pp.71-72)。

「七歳までは神のうち」という言葉もあるように、子どもは人以前の存在、仏神・自然(イコール異界)に近い存在とみなされていたため、童名には仏神名や動・植物名が多かったが、年齢的には大人になっても改名できずに、相変わらず童名しか名のれない人々は、ステージアップする道を閉ざされた、社会的には一人前扱いされていない者、つまり、何らかの差別の対象となるような下層民であったかもしれない。(後略)(p.72)

*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/12/22/110006 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/12/25/165742

*2:中世日本社会。

*3:坂田氏は近畿地方の村に準拠して論述している。

*4:「苗字」とは違う。

*5:ジツメイではなくジツミョウ。