中条省平「傷痍軍人から、戦争を忘れ去る日本人へ 水木しげる『総員玉砕せよ!』ほか」『星星峡』(幻冬舎)153、pp.100-105
水木しげるの『総員玉砕せよ!』などの作品を論じたものだが、そこから「傷痍軍人」に言及している部分を抜書き;
中条氏は1954年生まれ。なお、中条氏は自らが大島渚の『忘れられた皇軍』に言及したことの意味については語っていない。
幼児のころ、親に連れられて東京の下町(たぶん)を歩き、どこかのトンネルをくぐったとき、当時としてもすでに時代遅れとなった軍帽をかぶり、白い着物をきて、盲目だったり、手足がなかったりする人々が4、5人、トンネルの暗がりに群をなして、悲しい、というより、陰惨な節回しの歌を歌っていました。手のあるものはアコーディオンを弾き、黒眼鏡をかけている者もいました。その異形を見て私は震えあがりました。
あとで親に「あれはなに?」と聞くと、「ショーイグンジン」という答えが返ってきましたが、見て見ないふりをするような親の態度に、これは聞いてはいけないことを聞いてしまったと子供心にも分かり、かえって恐怖の念が増したのです。「ショーイグンジン」がかつて日本が闘った戦争と関係があるらしいことは分かりましたが、大人たちはそれに触れることをタブーとして避けていたのです。つまり、日本が高度経済成長期に入ったその頃でも、傷痍軍人というネガティブな形で、戦争の痕跡が確かに存在していたのですが、それにもかかわらず、日本人はその痕跡をタブーとして隠蔽していたのです。
私が傷痍軍人の姿と歌を聞いて大きなショックを受けたのは、そこには明らかに「おれたちを見ろ! おれたちはここにいるぞ!」という周囲の無視にたいする存在のあからさまな誇示と、その絶望的な行為を支える深い怨念と敵意が感じられたからです。
その後、この幼児期の体験を私は忘れていました。ところが、小学生のとき、たまたま親が見ていたテレビ番組を見て(それが大島渚監督の『忘れられた皇軍』というドキュメンタリー映画であるということをずっと後年に知りましたが)、そこに傷痍軍人の姿を見て、幼いとき「ショーイグンジン」を見たときの名状しがたい恐怖を思いだしたのです。あのとき感じた深い怨念と敵意がむき出しにされて、テレビの画面からあふれていたのです。(p.102)