「若者」は歌うな?

藤田敏雄作詞の「若者たち」*1は中学や高校の音楽の教科書にも収録されている。つまり、文部科学省日教組といった保守反動組織によって、「若者」が歌ってもいい(歌うべき)健全な歌曲であると認定されているわけだ。しかし、歌詞を読むと、これは「若者」は歌ってはいけない歌なのではないかと思った。
先ず問題は「君」という二人称代名詞。現代日本語において、「君」という代名詞の意味(用法)は大まかに言って、3種類あると思う*2
先ず、フォークで男性とされる語り手が(多くの場合)恋愛感情(関係)を持つ女性に呼びかけたり言及したりする場合。「君とよく/この店に来たものさ」(ガロ「学生街の喫茶店*3)。まあ、ロックにもある。「君はファンキー、モンキー、ベイビー」(キャロル「ファンキー・モンキー・ベイビー」*4)。2つ目としては、短歌において(多くの場合)女性とされる語り手が)恋愛感情(関係)を持つ(ことが多い)男性に呼びかけたり言及したりする場合。「「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」*5俵万智『サラダ記念日』)。3つ目は、上から目線の「君」。この場合、君たちとか諸君といった複数形になることも多い。

サラダ記念日―俵万智歌集

サラダ記念日―俵万智歌集

  • 作者:俵 万智
  • 発売日: 1987/05/08
  • メディア: 単行本
「若者たち」に出てくる「君」は何なのか。3つ目の上から目線の「君」。優位にある(と思われている)話し手が劣位にある(と思われている)相手に話しかけるための「君」。3番で「君」=「若者」であることが明かされている。つまり、この歌は「若者」ではない、「若者」よりも優位にあると思われている語り手が上から目線で「若者」に語りかけた歌なのである。だから、「若者」は歌ってはいけない。もし歌えば、「君」という二人称と齟齬を来す。
それにしても、「若者たち」の前半は、「若者」の努力を嘲笑し、その心を折る感じだ。「だのになぜ/歯を食いしばり/君は行くのか/あてもないのに」。まるで「あてもない」努力なんか諦めるのが大人になることだと言わんばかりだ。しかし、3番では一転して、「君の行く道は/希望へと続く」と「君」=「若者」は持ち上げられてしまう。心を折ると同時に煽り立てる。こんなことされたら、「若者」はダブル・バインド*6に嵌って、統合失調症を発症しかねないぞ。或いは、「君の行く道」が「希望へと続く」のには条件があるのかも知れない。国家とか党とか教祖とかへの服従とか。