私は一人称としては基本的に「私」を使っている。発音としては、わたしよりもあたしの方が江戸っぽくていいか。勿論、改まった場合にはわたくし。また、論文等では「私」は使わずに、「筆者(the writer)」を使う。その場合、「私」の方は形相的還元を施した意識主体のために使っているから。何故「僕」を使わないのかはわからない。まあ、加山雄三があまり好きじゃないからと理由を捏造しておく。
今のところ、僕は、一人称を「ぼく」といっております。
でもこのままオッサンになったら(もうオッサンですかそうですか)、「ぼく」というのもちょっとなあ、と。
いや、気にしなければしないでいいんでしょうが、こういうどうでもいいことをクヨクヨするのは昔からでして。
何歳からは「わたし」にする、と今のうちに決めとこうかしら。
http://d.hatena.ne.jp/sean97/20070126
「私」もちょっと飽きてきたということもある。最近、NHKの大河ドラマで日本語を覚えたという中国人に会ったけれど、彼は自分のことを「拙者」と呼んでいた。そういえば、作田啓一先生もblogでは「拙者」を使用している。「朕」を使うと、右翼から脅迫されそう*1。古風な言い方だと、「みども」というのも旗本退屈男みたいでいい。あとは「麿」とか。ところで、kmizusawaさん*2は「ワシ」を使っているけど、福岡の方ではジェンダー・フリーな言葉なのか。
一人称から二人称の話に移るけれど、「君」というのを使ったことがない。というか、「君」というのはフォークの歌詞とか短歌で使うものであって、日常的には「そんな言い方誰もしない」*3と思っているのだけど、如何だろうか。
(日本語ではなく)中国語で絶対に使うなといわれたものがある。それは「俺」。