何が起ったのか?

社会学者/歌人の大野道夫氏の『つぶやく現代の短歌史 1985-2021 「口語化」する短歌の言葉と心を読みとく』を図書館から借り出した。
大野氏にとって、「現代の短歌」は1985年に始まる。「本書では俵万智の「野球ゲーム」が角川短歌賞の次席となり、ライトヴァースが大きな話題となった一九八五年を現在の「現代短歌」の出発点とし、二〇二一年までを考察していくことにしたい」(p.13)。なお、俵万智*1は1986年に連作「八月の朝」で角川短歌賞を受賞し、1987年には歌集『サラダ記念日』を上梓している。何故、1987でも1986でもなく、1985なのか。


(前略)「野球ゲーム」が次席作としては異例なほど歌の世界で大きく注目されたからである。たとえば一九八五年の年末には、篠弘が「俵万智の『野球ゲーム』が、ライトバースを見事にこなしていた」(「ジャンルへの再検討」「短歌年鑑 一九八六年版」角川)と書いている。また一九八六年の「八月の朝」が受賞した角川短歌賞の選考座談会においても、「去年次席に推した俵さんの歌が、この一年、あれだけ話題になったでしょう」(篠)、「すごい話題になった」(岡井隆)という会話がみられる(「短歌」一九八六年六月)。そして俵自身も、「野球ゲーム」の〈「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの〉が大きな話題となり、「あっちでもカンチューハイ、こっちでもカンチューハイ」という状態になり、さまざまなな雑誌で「半年ちょっとの間に、二十人を軽く越える人達から、取り上げられたのである」と回想している(「ライトヴァースと言うけれど」「開放区」第一二号、一九八六)。(pp.24-25)
さて、「まえがき」によると、大野氏は「一九八五年から二〇一七年までの第一稿を書き、せめて二〇一八(平成三〇)年には上梓しようと思って準備をしていたが」(pp.ii-iii)、ここでは言及されていない病気のために「入院」をしてしまった(p. iii)。さらにその先が酷い;

そしてその後の経緯を急いで書くと、介護施設にも入れられ、自室や研究室に置いてあったノート、歌集を含む歌書、集めた資料などの私物をすべて破棄されてしまった……。
しかし二〇二〇年冬に、主に地元湘南の幼稚園からの友だちの協力を得て何とか施設を退所し、図書館などにも行くことができるようになった。そこで二〇二一年までの歴史を書き足し全体もリライトして、この二〇二三(令和五)年に上梓の運びとなったのである。(p.iii)

本書の上梓にあたりお礼を言わなければならない人はたくさんいるが、まず又従弟でもある佐佐木頼綱くんは、研究室の資料などがすべて廃棄されるなかでパソコンを救出し、施設脱出後に送ってくれた! これによりパソコンへ書き込んだメモ、原稿等は復元でき、執筆継続が可能になったのである。(p.iv)