天皇・親王・プロレタリアート

先日、近所の図書館に久しぶりに行った*1
盛田帝子『天皇親王の歌 和歌という形でつづる天皇のことば』(コレクション日本歌人選077)(笠間書院)を捲ってみた。桓武天皇から明仁上皇まで。「凡例」によると、「従来あまり顧みられていない江戸時代の天皇に比重を置いた」という。また、「江戸時代以前については、江戸時代の天皇と関わりの深い天皇を選んだ」。「天皇親王の歌」であって内親王の歌は取り上げられていない。


たぐひなきあづまの琴のしらべこそ神代の風を吹き傳へけれ
という仁孝天皇*2の一首は特によい(p.86)。さて、この「コレクション日本歌人選」というシリーズ、松澤俊二『プロレタリア短歌 恋愛を歌わなかった 自然の美しさを詠まなかった』という巻もあるのだった。花鳥風月はともかくとして、江戸時代以降の天皇も「恋愛を歌わなかった」。萩原延壽『自由の精神』を棚から抜いて、「人間と国」に引用された西郷隆盛*3を巡る福沢諭吉の言葉*4を眺め始めたら、閉館の時間になってしまった。

抵抗の法、一様ならず、或は文を以てし、或は武を以てし、又、或は金を以てする者あり。今、 西郷氏は政府に抗するに武力を用ひたる者にて、余輩の考とは少しく趣を殊にする所あれども、其精神に至ては間然すべきものなし。

方今、出版の条例ありて、少しく人の妨げを為す。故に深く之を家に蔵めて時節を待ち、後世子孫をして今日の実況を知らしめ、以て日本国民抵抗の精神を保存して其気脈を絶つことなからしめんと欲するの微意のみ。

実は人民の気力の一点に就いて論ずれば、第二の西郷を生ずるこそ国の為めに祝す可きことなれども、其これを生ぜざるを如何せん。余輩は却て之を悲しむのみ。
天皇・親王の歌 (コレクション日本歌人選)

天皇・親王の歌 (コレクション日本歌人選)

プロレタリア短歌 (コレクション日本歌人選)

プロレタリア短歌 (コレクション日本歌人選)

自由の精神

自由の精神

息子は川端誠『落語絵本 ときそば』を読んでいた。
落語絵本 十二 ときそば

落語絵本 十二 ときそば