野粼智也「西郷どんで「字幕が欲しい!」 鹿児島弁が、こんなにも難解な理由」https://withnews.jp/article/f0180722002qq000000000000000G00110601qq000017717A
「鹿児島弁」について。大河ドラマで方言指導を行っている迫田孝也氏(俳優)による発音の解説。また、太田一郎氏(社会言語学)による「アクセント」の解説。また、「標準語教育」(方言撲滅政策)と薩摩人の「標準語化」及び「標準語」の薩摩化(「からいも標準語」)。また、
「鹿児島」と「青森」が対照されているのだが、サツマ(薩摩)とアヅマ(東、吾妻)に対して、近畿の人間は何かしらの共通性(「ツマ」)を認識していたとはいえるだろう*1。
江戸時代、隠密によるスパイ活動を見破るためにわざと難解な言葉にした、という「説」もよく耳にします。この「説」について、「西郷どん」の時代考証も務める原口泉・志學館大教授は、「全くのうそ。どんな権力でも、言語を操ることは不可能」とばっさり。
原口教授は、「江戸との距離が原因。鹿児島と青森のように、日本の端に行くほど、言語は変化していく」と話します。さらに、薩摩藩が他藩との交流を厳しく規制していたことも理由にあげます。「薩摩は外との交流がなく、『2重の鎖国』と言われていた。その中で独自に言葉が進化していった」。ではどうして、「スパイ警戒説」は生まれたのか。
原口教授は、「明治20年ごろまでは、薩摩の人の言葉は他藩の人には全然理解できなかった。西南戦争(明治10年)を終えたころから、他藩出身者と交流が深まり、そうした俗説が生まれるようになったのでは」。
また、「隠密を見つけるために言葉を難しくしたことはないが、もともと難しい言葉を利用したということはあっただろう」とも。
ところで、特に前近代社会の場合、方言というのはたんなる地域方言ではなく階級方言という側面も持っていたということを忘れてはならないだろう。幕末から明治維新にかけての有名人で言うと、同じ薩摩弁とは言っても、下級武士だった西郷隆盛や大久保利通の言葉と、家老職の小松帯刀の言葉は違っていた筈。また、大名の嫡子は原則として江戸で育てられていたので、島津斉彬は江戸の言葉を話していた筈。ところで、昔、鹿児島の上流階級の言葉は大阪の船場言葉に似ていると教えてくれた人がいるのだが、さて?