西郷隆盛辞世

Kyodo “Death song linked to Meiji Era hero Saigo found in army doctor’s diary” Japan Times September 13 2009


西郷隆盛の辞世の詩(death song)と見られる七言絶句(the traditional quatrain poetry style featuring seven Chinese characters on each line)が西南の役において西郷軍の軍医を務めたTaisuke Yamazakiの日記エントリーの中から発見された。日付は1877年9月24日、西郷隆盛が自決をした日。また、詩の最後には「西郷隆盛」という名前が書き込まれている。鹿児島市の西郷を記念する博物館の館長であるTsuyoshi Takayanagi氏のspeculationによると、西郷はこの辞世を息子のKikujiroに託したが、Kikujiroは負傷し、詩はTaisuke Yamazakiの見るところとなり、彼はそれを自らの日記に書き写した。それに対して、札幌在住の古文書研究者、Noriko Kiyanagi氏は、詩の最後に記された「西郷隆盛」は詩のタイトルであり、Taisuke Yamazaki自身が作者であろうと主張する。一方、Takayanagi氏は詩のタイトルは詩の最後ではなく、最初に記されるものだろうと主張している。しかし、Taisuke Yamazakiがテクストを入手した経緯はあくまでも推測であり、何ら実証されたものではない。