『アジア/日本』

アジア/日本 (思考のフロンティア)

アジア/日本 (思考のフロンティア)

川瀬さんも言及していたが*1、暫く前に米谷匡史『アジア/日本 』(岩波書店、2006)を読了したので、少しメモしておく。


はじめに


I 東アジアにおける「近代」の経験
第1章  アジア/日本を論じる視座
第2章  アジア/日本の亀裂と交錯


II 東アジア変革論の系譜
第1章 戦間期の帝国改造論
第2章 戦時期の東アジア変革論


III 基本文献案内


あとがき

本書では、勝海舟の「東アジア提携論」や西郷隆盛の「征韓論」から始まって、主に1945年以前の〈亜細亜〉に関する思想・言説が検討されている。その叙述を貫いているのは、竹内好以来問題化されてきた近代日本における「連帯」と「侵略」の両義性、或いは「興亜」と「脱亜」の両義性ということへの視座であろう――「アジアの連帯・解放をとなえる「興亜論」のなかにも、福沢とつうじるような、文明論がはらむオリエンタリズム植民地主義の契機が刻印されているのです」(pp.10-12)。また、著者が前提としている「東アジアにおける「近代」」がどのようなものであったのかということを確認しておく;

東アジアにおける近代の初発において、ウェスタン・インパクトが世界市場への包摂をもたらしましたが、それはたんに「西洋」対「東洋」という対立構図をうみだすだけではなく、むしろアジアの内部に、あるいはそれぞれの地域主体の内部に、分裂をうみだし、摩擦や抗争をひきおこしています。
(略)「近代」を身にまとうことによって、「発展」や主体化への欲望がうまれ、またそれとともに否定すべき他者が析出され、その矛盾・分裂をかかえながら、自己を主体化し「発展」に向けて駆動する力が作動します。このようにして、ウェスタン・インパクトに直面した東アジアでは、その内部で矛盾・分裂がうみだされ、摩擦や抗争がひきおこされるのです。(p.23)
眠いこともあり、本書の全体的な特徴を2つだけ挙げれば、「沖縄」や「アイヌ」という近代になって「日本」に組み込まれた存在が召喚され、その「日本」及び「アジア」への(やはり)両義的なスタンスが検討されていること、さらに「日本」の「アジア」言説に対する中国や朝鮮からの応答も検討されていることだろう。特に興味深かったのは、日中戦争期の「東亜共同体」論や「近代の超克」論に対する朝鮮からの応答としての徐寅植や朴致祐の議論である。米谷氏の要約を引用すれば、

日本知識人による「東亜共同体」論や「世界史の哲学」には、「中心と周辺」をうみだす帝国主義を批判しながらも、他民族共生を実現する使命をになう「盟主日本」という新たな「中心」を正当化していく新植民地主義的な契機がはらまれていました。「中心と周辺」をうみだす構造を徹底して批判し、朝鮮/日本が相互に中心となりうるような「多中心」の世界の地平を開こうとする徐寅植や朴致祐の議論は、このような「東亜共同体」論や「世界史の哲学」をもきびしく批判し、問いかえすものとなっています。(pp.150-151)