早すぎ?

ku-*1「「やはた」の名の起源‐豊山八幡神社‐ 福岡県北九州市八幡東区春の町」https://www.ku-hibino.com/entry/2025/07/12/221922


福岡県北九州市八幡東区にある「豊山八幡神社*2について。この神社こそ、北九州の「八幡」という地名の起源である。この神社がなければ、八幡製鉄所*3もなかった!


北九州市八幡東区に鎮座する豊山八幡神社は、約1400年もの歴史を持つ神社です。その起源は古く、約1800年前、第14代神功皇后がこの地を訪れ、天下が豊かになることを願い弓矢を納め、「豊山(ゆたかやま)」と名付けたことに由来すると伝えられています。その後、西暦623年、推古天皇の御代に、神徳により宇佐神宮から八幡神を勧請し、豊山八幡神社が創建されました。


尾倉村が発展するにつれて、豊山八幡神社は尾倉、前田、大蔵、枝光、鳥旗、中原の六ヶ村の総鎮守として栄えました。各村に鎮守神社が必要となったとき、豊山八幡神社の分霊がそれぞれの氏神様として遷され、枝光八幡宮や前田の仲宿八幡宮、大蔵の乳山八幡神社など、多くの八幡神社豊山八幡神社をルーツとして創建されていきました。


豊山八幡神社は、「やはた」という地名の発祥の地である点がとくに重要な点であげられます。明治22年(1889年)4月に市町村制が施行され、尾倉村、大蔵村、枝光村の三村が合併する際に、当初「尾大光(びだいこう)」という地名が検討されましたが、しっくりこなかったため再協議となりました。その際、三村それぞれの氏神様が豊山八幡神社をルーツとしていたことから、新しい村の名前を「八幡」とすることに決定されました。

八幡村」はのちに「八幡町」となり、さらに「八幡市」になる。
推古天皇*4 の御代」って、ちょっと早くないか? と思ったのだ。宇佐の八幡がメジャーな歴史に登場するのは奈良時代東大寺大仏建立を巡って。それから、〈道鏡事件〉*5である。その後、平安時代に京都郊外に石清水八幡宮勧進されると、八幡と言えば宇佐ではなくて石清水という感じになる。鎌倉の鶴岡八幡*6も石清水から分霊された筈。
さて、八幡信仰の元となった神功皇后の物語は、現在の福岡県を舞台にしたものだ。ここでも、「八幡」以前の神功皇后の話が語られている。それが一旦宇佐を経由し、何故推古期に回帰してきたのか、不思議である*7