浄土真宗もやってきた

辰井裕紀*1「50年前に2万人の移住で九州文化が大流入! 千葉県君津市はまだ少し九州だった」http://portal.nifty.com/kiji/180213202046_1.htm


1960年代後半、(新日鉄になる直前の)八幡製鉄が千葉県君津市に大規模な製鉄所を建設し、それに伴って大量の福岡人が千葉県に移住した。方言を初めとする文化込みで*2。50年後の現在はどうなっているか。さて。


僕は千葉県出身なのだが、そんな地元民の間でも地味な扱いの「君津市」。しかし、この君津は全国まれに見る大移住があった。

1960年代後半に八幡製鉄(のちの新日鉄)が君津に大規模な新工場を完成、工員やその家族などおよそ2万人もの北九州人がやってきた、日本史上にも残る「民族大移動」。

君津ではもっぱら北九州の方言が使われ、九州料理が出すお店がたくさん登場し、九州カルチャーが街を占拠した。当時、君津は九州だったのだ。

しかし、今は移住が本格化したときから50年も経った。そんな「リトル福岡」の今はどうなっているのかをこの目で確かめたい。

気になったのは、語っているのは移民の第一世代ばかりじゃないかということ。50年という月日からすれば、最初に移住してきた人の子供や孫の世代がいる筈だ。そうした下の世代は地元に残らず、「リトル福岡」は高齢化しているということなのだろうか。
食べ物の話とか、興味深いのだが、特に目を惹いたのは宗教の話。

もともと君津にもお寺はあったが、日蓮宗禅宗の寺院が多く、九州出身者の大部分の宗派とは違った。そのため「法要も出来ない」と不満が強かった。

法事になると九州に里帰りする人も多いほどだったが、彼らの強い願いもあり、浄土真宗である築地本願寺の君津出張所、「光明寺」ができた。

1973年に建立され、待ち望んでいた人はそのお経を聞いているうちに、涙をこぼして喜んだという。

千葉県に日蓮宗が多いというのは日蓮の生まれ故郷に近いからということなのだろうけど、これを読んで、福岡県が九州でも有数の真宗地帯だということを思い出した。
ところで、豚骨ラーメンを始めて食べたのは1980年代に入ってからだと思う。その頃、博多のラーメン屋の東京進出が開始されていた。ただ、福岡の味覚的侵略は辛子明太子の方が先で、ラーメンはその何年か後だったと思う.。注意しなければいけないのは、これはあくまでも「博多」の侵略であって「北九州」とは関係なかったということだ。考えてみれは、福岡県というのは日本の都道府県の中でも地域の文化的自律性が強い方なんじゃないか。久留米系の有名人としては、松田聖子とかチェッカーズとかがいるけれど、この人たちは北九州も博多も知らないよという顔をしている。まあ、「北九州」にしても、「余所者からすると、海峡の門司、無法松の小倉、製鉄所の八幡という部分のイメージは浮かんでくるのだが、北九州市全体のイメージはちょっと想像し難い」と書いたことがある*3
ところで、新日鉄の君津製鉄所だけれど、もしかしたら小学校の社会科見学とかで行ったことがあるかも知れないと思って、一生懸命思い出してみたのだけれど、そのような記憶は見つからなかった。社会科見学は市原市までで、君津市には行かなかったのだ。思い出したのは、姉崎の火力発電所三井造船