イメージの原型?

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110811/1313033468に対して、


flagburner Conspiracy
『日本で文化大革命が起こったら、「美爾依」は〈日本の江青〉になるつもりなのか。Mdme. Ozawaに収まって』←むしろ、日本の西太后あたりぢゃ(←西太后に失礼) 2011/08/12
http://b.hatena.ne.jp/flagburner/20110812#bookmark-54655106
はい、「失礼」だと思います。
西太后のイメージの構築については、Sheridan Prasso The Asian Mystique*1、またEdmund Backhouse卿のDecadence Mandchoue*2などを取り敢えず参照のこと。
The Asian Mystique: Dragon Ladies, Geisha Girls, and Our Fantasies of the Exotic Orient

The Asian Mystique: Dragon Ladies, Geisha Girls, and Our Fantasies of the Exotic Orient

Decadence Mandchoue: The China Memoirs of Edmund Trelawny Backhouse

Decadence Mandchoue: The China Memoirs of Edmund Trelawny Backhouse

ところで、「西太后」イメージの原型はもしかして武則天だったのでは? 中野美代子先生によれば、中国史上唯一の女帝たる武則天に対して、中国の男権文化は、彼女が建国した「武周」を歴史から抹消するだけでなく(「文字か絵画か」、p.287)、「悪女」、「稀代のエロばばあ」に仕立て上げるという仕方で復讐した(p.288)。「エロばばあ」「武則天」のイメージが文字として定着したのが明代、16世紀半ばに書かれたとされる、武則天を主人公とする春本『如意君伝』である(p.286ff.)。興味深いのは、日本において、「武則天」を翻案する仕方で「孝謙女帝」(「称徳女帝」)伝説が構築されたことである。幕末に書かれた『花の幸』(p.301)。そのさわりを中野先生のテクストから孫引きしておく;

天平神護元年の初めの夏、長雨かつかつ*3晴れたり。帝道鏡の手を引きて御園に遊び給ふ。岡の柳繁れる中より、雀の幾つも経ち散りて幾度とまで交尾める*4、池の鳥の寄添ひて、桐の木の梢に羽打ちせるを見給ひても、先づ動き出づるは、数寄の御心なり。はや御顔きらきら*5と赤みて、御息づかひも荒らかなり。人々疾く悟りて、錦の帳垂れ、御茵敷き、荷葉打ち焚きて立ち去りぬ。帝道鏡に寄りかゝり給ひて、「君と今日、鳥の交尾みたる態して、戯れなまし」とて、各自衣取り捨て、庭叩鳥の真似して臥し給へば、道鏡御後ろに取りつき奉りて山鳥の声してほろほろ*6と云ふも可笑し。(Cited in p.302)
中国春画論序説 (講談社学術文庫)

中国春画論序説 (講談社学術文庫)

さて、小説における「江青」キャラといえば、大江健三郎同時代ゲーム*7における「オシコメ」(お醜女/押し込め?)か。また、「江青」の人類学的考察としては、例えばジュリア・クリステヴァの『中国の女たち』*8を援用した山口昌男文化人類学への招待』(pp.148-154)。曰く、

江青という妖怪はたんに一人の女性として裁判にかけられたのではありません。彼女の背後には、存在そのものにおいて、男中心の権力としての「象徴作用」から排除された、〈母〉的なものが姿を現わしています。権力側が恐れるのは、この女妖が喚起する〈原母〉のイメージ、この前にあって男の権力が簒奪者のそれに過ぎないという状況を写し出す場面の現出であったのかもしれません。(pp.153-154)
さて?  
同時代ゲーム (新潮文庫)

同時代ゲーム (新潮文庫)

中国の女たち (アジア文化叢書)

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文化人類学への招待 (岩波新書)

文化人類学への招待 (岩波新書)