「女帝中継ぎ論」の系譜(メモ)

義江明子*1「「女帝中継ぎ論」とは何か――研究史史学史の間」『図書』755、2012、pp.6-9



「中継ぎ論」の前提には、(1)本来の天皇は男性である、(2)皇位の父子継承は古来の原則、という通念があった。そこから、”女帝はやむを得ない事情があった場合の特殊例外”とする解釈が生まれた。ところがこの通念そのものが、現在では大きくゆらいでいるのである。(p.6)
「女帝中継ぎ論」の嚆矢としての喜田貞吉「中天皇考」(1915)。「喜田は、史料に見える「中天皇」「仲天皇」「中皇命」をいずれも「ナカツスメラミコト」と訓み、皇極・元正等の女帝にあてて、先帝と後帝との間をつなぐ天皇のことだとした」(ibid.)。
折口信夫「女帝考」(1946)*2

折口は、「ナカツスメラミコト」とは、神と天皇の間を媒介する「みこともち」(巫)のことだとした。本来の天皇(男)が欠位の際に、「みこともち」たる皇后が即位したのが女帝とみるのである。(略)
この場合でも、「誰かゞ実際の政務を執れば、国は整うて行つた」(折口)とあるように、「中継ぎ論」と同じく、”女性は本来の統治者ではない”とする通念が前提にあることを見落としてはなるまい。だからこそ、巫女性が女性の特殊能力としてクローズアップされるのである。(ibid.)
「中継ぎ論」の「確立」=井上光貞「古代の女帝」(1964)。

井上は、「ナカツスメラミコト」の語義にとどまることなく、議論の幅を拡げ、古代の八代六人の女帝全体を考察した。そして、七世紀末までの女帝(推古〜持統)と、律令制度が確立した八世紀以降の女帝(元明〜称徳)とに大きくわけ、皇位継承上の困難がある時、先帝または前帝の皇后が即位した前者が本来の女帝で、後者は嫡系主義の成立により変質し消えていく過程とみた。
律令制以前の皇位継承方法として井上が想定したのは、長子(大兄)の系統が優先する兄弟継承である。大兄制にせよ嫡系主義にせよ、一九六〇年代当時においては、皇位の父子継承は、社会通念からいっても、研究の上でも、当然の前提だった。「もともと天皇は男子であるべきなのに、なぜ……」(井上)という言葉に端的に示されるように、”女性統治者は本来あり得ない”との通念のもとに提出されたのが、「便宜の処置」としての女帝即位、すなわち「中継ぎ論」なのである。以後、井上「女帝中継ぎ論」が、古代女帝論の通説の位置を占める。(p.7)
「中継ぎ論」への批判。
荒木敏夫『可能性としての女帝』(青木書店、1999)。「平安末にも女帝即位の可能性が現実にあったことを示し、大日本帝国憲法および皇室典範で男系男子の継承が法制化されるまで、女帝は原理的に排除されていなかったことをはっきりさせた」(ibid.)。
仁藤敦史『女帝の世紀』(角川書店、2006)。「世襲王権が成立する六世紀以降は、血統的資格をもつ限られた王族の内部で、年少な男性よりも人格・資質などに卓越した女性年長者が即位する可能性が増えた、と推古以降の女帝輩出の背景を明快に説明した」(ibid.)。
「古代女帝論の転換」をもたらしたものとしての、「王朝交替論をも含む自由な王統譜・王権研究」と「古代女性史・家族史研究」(p.8)。

後者[古代女性史・家族史研究]からは、古い時代の女性首長から豪族・貴族・村の統率者に至るまでの様々な階層で女性が男性とならぶ政治的・経済的力を持っていたこと、家父長制家族は一般的には未成立だったこと、古代の基層の親族原理は父方母方がともに重んじられる双系的なものであること、父系原理は律令制とともに導入が図られるが八世紀にはまだ端緒段階であること、等が明らかになった。こうした家族論・親族論の成果を取り入れて、新しい古代社会像も提示された(吉田孝『律令国家と古代の社会』岩波書店、一九八三年)。
古代においては、ごく当然に、女性は統治者たり得たのである。(ibid.)
「中継ぎ論」の反撃? 「新中継ぎ論」=佐藤長門『日本古代王権の構造と展開』吉川弘文館、2009)。「女帝の統治機能・資質を認めた上で、王位継承のシステムに限定すれば女帝はやはり「中継ぎ」とみるべきだとする」(ibid.)。
史学史」的背景;

(前略)そもそも「女帝中継ぎ論」とは、近代の男系男子継承の法制化を前提とし、それを当然とする通念のもとで形成された学説である。そしてこの法制は現在も生きている。こうした史学史をふまえることなしに、諸説を並列して優劣を検討する研究史の枠内に問題を閉じ込めてはならない、と私は思う。王位継承システムや個々の継承事情に限定しない、幅広い視野からの検討が女帝論には必要なのである。(ibid.)
義江明子さんのテクストは


「古代女帝論の過去と現在」『岩波講座 天皇と王権を考える』7、2002
『つくられた卑弥呼ちくま新書、2005
『古代王権論』岩波書店、2011


女性天皇」或いは「女系天皇」を巡る政論については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060205/1139111281 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060206/1139193655 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060209/1139452644 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060503/1146669098 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060804/1154684215 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070224/1172288193 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100128/1264688062も参照のこと。