昭和26年の異邦人

伊藤直『戦後フランス思想』*1から。


(前略)[アルベール・カミュの]代表作である小説『異邦人』*2は、一九五一年に日本語訳が刊行されると大きな反響を呼び起こした。衝撃は時の文壇にも及び、小説家広津和郎*3と批評家中村光夫*4とのあいだに『異邦人』論争が勃発している。太陽のせいで殺人を犯す青年を、乾いた筆致で描いたこの小説をどう読むべきか。両者の白熱した論争は「人生とは何か」「いかに生きるか」という人生論のテーマを軸にして、新聞や文芸誌を舞台に半年近く繰り広げられ、同作とその作者を広く世に知らしめた。(p.41)

三野博司『アルベール・カミュ*5によると、『異邦人』は「『新潮』五一年六月号に窪田啓作訳で発表された」(p.205)。

社会のあらゆる約束事に無関心なムルソーは、すべての価値が崩壊した戦後の時代に共感をもって受け入れられると同時に、強い反発も招いた。一九五一年六月十一―一四日、作家の広津和郎は「東京新聞」に、母親の埋葬に涙を流さず「太陽のせい」で殺人を犯すムルソーの不毛な精神からは何も生まれないと主張する批判を発表した。一か月後、七月二一―二三日、同じ「東京新聞」で若い評論家の中村光夫が反論し、「このような力を多少でも持つ作品」はまれであると述べて、両者のあいだで論争が展開された。これが戦後の文学史に名高い「異邦人論争」である。(pp.205-206)
なお、1951年には『異邦人』だけでなく、『シジフォスの神話』*6、『カリギュラ』、『誤解』といった(三野氏が「「不条理」の系列」と呼ぶ)作品が訳出されているのだった。