「述語」として

山内志朗『中世哲学入門』*1から。
「普遍」について。


(前略)「普遍」というのは、一般概念として捉えられがちだが、見逃されやすい重要な論点がある。「普遍」とは述語であり、知性の判断作用によって成立するということが最初の論点となる。述語ということも、命題ということも、知的構成物であり、その背景においてしか普遍は登場できない。(p.63)

普遍の起源は認識論にある。アヴィセンナの第一志向と第二志向との区別*2を踏まえて、十三世紀の普遍論が始まった。(略)
十二世紀の普遍論と十三世紀の普遍論の違いはそこにある。普遍論争は、普遍は事物か名称かという存在論や論理学の問題であるように見えて、実は認識論の問題であった。十五世紀になって普遍論の起源が忘却され、論理学の場面に限定されて、実在論唯名論かという対立が現れてくる。(pp.63-64)

実在論的傾向は普遍論争を認識の媒介の問題として捉え、その媒介を因果論的に説明しようとする場面に現れる。視覚現象の説明や光学の現象において示されるように、アリストテレスの主語述語理論、実体論を踏まえるのではなく、別の直観的認識の枠組みでは媒介なしの証明が有力となり、その場面で唯名論的傾向が表れてくる。十四世紀以降、唯名論的傾向が主流となってくる。この十三世紀に生じた変動こそ〈認識論的転回〉と呼ぶべき事件なのである。
普遍とは〈認識論的転回〉以降の時代においては、知解作用(actus intelligendi)と捉えられる。そこには対象面と作用面があり、その両者をどう考えるのか、それが問題として考えられた。しかし、形象(species)理論が有していた因果論的説明は、光学現象の説明に向いていない。抽象理論は視覚の認知をうまく説明できない。直感的認識の理論が視覚的知覚を基礎としていた音は重要な論点であり、このことと唯名論は結びついている。(p.64)

十二世紀の普遍論争と十三席の普遍論争とは姿が異なっていて、十二世紀まで論理学(カテゴリー論)の話題であった普遍論は、十三世紀においては認識作用が普遍となり、 哀歌委の問題として姿を現す。十三世紀の普遍論争は、アヴィセンナの第一志向(intentio prima)と第二志向(intentio seconda)という枠組みを前提しており、認識論の傾向が加わってくる。この「志向」という概念を十分に把握しておかないと、中世哲学はわからないままである。
十二世紀の普遍論争はアリストテレスの『カテゴリー論』を基礎としており、普遍論は論理学の内部での話題であるが、十三世紀の普遍論争は、アリストテレスの『デ・アニマ』も巻き込み、アヴィセンナの志向性理論を前提としており、論理学、認識論、存在論に跨る問題になっている。(pp.64-65)